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KISS 第100号「TV番組ネット配信」

日本テレビ放送網、フジテレビジョンなどが、同社が過去に放映した番組のネット配信に乗り出すようです。
うん、これでよいのだと思います。

情報を配信する媒体が、
東京タワーからの電波なのか、衛星からの電波なのか、
電波に乗る情報フォーマットがアナログなのか、デジタルなのか、
ケーブルテレビ網なのか、TCP/IPによるネットなのか・・・
そんなことは、技術の進歩と時代の変化によって、どんどん変わるものです。
視聴者が目的としているのは、情報そのもの(=コンテンツ)なのであって、その情報を伝える媒体ではないわけです。

その昔、「パチンコ」をネット上で実現しようとした企業がありました。
パソコンの画面上にパチンコ台がシミュレートされ、利用者は、ネット上の通貨を現金で購入し、その通貨でゲームを始めます。
ゲームの結果、儲かった通貨は、同社が提供する「景品交換所」にて、景品に交換すると言うわけです。
まあ、つまり、実際のパチンコ店を、ネット上で実現したというわけです。

この事業、一度は新聞紙面などに事業化のリリースが行われましたが、その後、「システムの不具合」というわけのわからない理由で、事業化を断念したと報じられました。
その後、この事業が日の目を見たなんて事は聞いたことがありません。

「システム上の不具合」は、真っ赤な嘘で、おそらく、それなりの方々からの「圧力」の結果なのでしょう。
この辺の詳しい情報は、僕は持ち合わせていません。

僕は、この報道の最中、既にハイパーネットという会社を経営していましたが、自らがインターネットの広告インフラ事業を行っている最中でさえ、「ネットは道具」という考えを中心にすえていました。
よって、この報道を見たとき、
「パチンコは、実店舗であれ、ネット上であれ、パチンコ屋がやればいいじゃないか」と思ったことを覚えています。

TV番組のネット配信しかり、
証券取引のネット証券しかり、
中古車情報のネット配信しかり、
これらは、ネットが普及する以前から、事業として成り立っていたビジネスモデルに、ネットをくっつけただけの進化ですよね。
もちろん、ネット化によって、それなりの変化はありました。
しかし、ビジネスモデルは、それ以前も以後も、さほど大きな違いは無いわけです。
利用者の利便性、利用者の拡大のために、ネットを道具として使ったというだけの話しです。

コンテンツそのものを持っている者が、ネットを利用して事業を展開する方が、ネットの技術を持つ者が、コンテンツを買収し、それをネットで配信するより、事業コストが安く済むわけです。
なぜなら、コンテンツそのものを有する企業より、動画配信の技術や設備を有するネット企業の方が、圧倒的に数が多く、数が少ない側が、数が多い側を選ぶほうが、全体のコストは下がるからです。
ゲーム理論の「右足用の靴を作る者と、左足用の靴を作る者」を持ち出すまでも無く、当たり前のコンコンチキです。
よって、最終的な利用者の利便性やコストを考えれば、コンテンツ側が道具側を選ぶほうが、遥かに社会における効率が良いわけです。

ネット事業者が、彼ら自身の業績を向上させるためには、安易な企業買収ではなく、彼ら自身の付加価値を高めることが最も合理的なのです。
事実、ネットで成功した事業とは、検索エンジンやオークションサイトのように、
ネットなくしては実現できなかった事業、
ネットが出現したことによって必要となった事業、
ネット上の付加価値といった、ネット上の付加価値事業ですよね。
(もちろん、細かい例外はたくさんあります)

ネット事業者が、TV局などの買収を考える行為は、まるで、
タイヤメーカーが、タイヤを使ってもらいたいがために、自動車会社を買収するようなものです。
タイヤメーカーが彼らの業績を伸ばしたければ、タイヤそのものの商品価値を高める以外に無いじゃないですか。
そんな努力無しに、単に買収による足し算を行うのでは、明らかに当該企業の「投下資本利益率」は低下するでしょう。


「所有」を追いかけるより、持たない方が価値創造の効率は良いのです。
イトーヨーカドーグループと、ダイエーグループの違い、は、明らかに「持つか持たざるか」の違いによって現れたのだと、少なくとも僕は思っています。

起業すれば、立派なオフィスと、立派な名刺が欲しくなる。
「株式会社」という冠が欲しくなる。
美味しい事業があるから金を集めるのではなく、
金が集まりそうだから、その使い道を考える。
技術を磨くなどの自社の価値を高める努力ではなく、
手っ取り早く既存の経済価値を手に入れようとする。
・・・これらの行為によって、一体どんな価値が生み出されるというのでしょうか?

価値創造が伴わない活動は、いずれ淘汰されるのです。
そんなくだらない御遊びに、金を投じる人間が居なければ、淘汰されるどころか始まらないわけです。
投資家も損をしなくて済むわけです。

消費者としても、労働者としても、取引先としても、債権者としても、投資家としても、しっかり事業を見極め、それぞれの立場で、自身の価値を投ずるべき事業を選択することが、社会全体の便益を最大化することが出来ると思います。

アントレプレナーの挑戦が清清しく見え、多くの人が応援したくなる条件とは、そこに「価値創造の信念」の存在があるか否かではないでしょうか。
社会にとって価値があると、社会が認めなければ、新たな挑戦は報われません。

それは、社会にとって価値のある挑戦なのか、それとも、自己実現だけが目的なのか・・・数々の失敗を経験した今の僕が、最も重要視する判断基準です。

2005年7月13日 板倉雄一郎

PS:
これまた男女に置き換えますと・・・(笑)
自慢では決してありませんが、僕は、この歳になっても、ある程度選ぶ側で居ることが出来ています。
「もてる」なんて言いたいのではないのです。
僕自身が、「選ばれる側」ではなく、「選ぶ側」で居たいと思っている結果に他なりません。
一般論ですが・・・
選ぶ側は、他の選ぼうとしている人を排除するために、それなりのコスト(経済的なコストばかりではありませんよ)を負担することになります。
その結果、選んだ側にとっての期待収益率は上昇し、選ばれた側にとっての資本コストの上昇となるわけです。
よって、他を排除してまで選んだ結果は、選んだほうも、選ばれたほうも、大した価値を手に入れられないわけです。
自然と、なるべくして、くっつくのが一番良いわけです。
なぁ?んて(笑)





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