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KISS 第107号「信じる」

「彼(彼女)のことを信じる」
「自分の予測を信じる」
「僕を信じてくれよ!」
「信じられない!」

「信じる」という言葉は、何気なく、且つ、結構煩雑に使われていますよね。
「信じる」という言葉は、多くの場合「根拠」の無いときに使われるのではないかと思うのです。

たとえば、「私は、1+1=2だと信じる」と言う人は、普段居ませんし、
たとえば、現在では、「地球は丸いと信じる」と言う人も居ません。
が、
たとえば、「明日を信じる」とか、
たとえば、「相手を信じる」とか、
たとえば、「宝くじが当たると信じる」とか、
全く根拠が無いとは言えませんが、少なくとも論理的に十分な根拠が無い場合に、使われる言葉だと思うのです。

僕は何度か、恋愛も経済も、「人の心」が動かしている点において共通性があるというようなことを書いてきました。
誤解を招くことがありましたが、僕が表現したのは、恋愛においても、「投下資本利益率」や「資本コスト」によって相手を選ぶというような、表層の部分での共通点があるなどと主張しているのではないのです。
もっと本質的な部分において、共通点があると思うのです。

たとえば、恋愛がうまくいかない原因の一つに、「相手を信じられない」という心理があります。
恋人の昨日の行動や、恋人の自分に対する気持ちを疑い始めることによって、二人の関係は、破綻に向かっていきます。
これと同様に、投資活動においても、自身の価値算定と市場の動きを信じることが出来ず、短期の価格変動にいちいち心が奪われていたら、少なくともバリュー投資としての成功は期待できないというわけです。
1年経って、思い出したように、ある会社の株価推移を見てみたら、
「あの時、ビビッて売らなければ良かった」なんてこと、結構あるでしょ?(笑)
最悪なのは、
「あの会社をホールドして、後は仕事と遊びをやってた方が、儲かってたよなぁ?」なんてこともあるでしょ?(笑)

「その会社の経営を信じる」とか、
「相手を信じる」とかの表現だけ見ると、他力本願のように思えるかもしれません。
しかし、
「その会社の経営を信じる」のは、自分自身の価値算定を信じるということと同義であるし、「相手を信じる」とは、自分自身の相手を見る目を信じるということと同義だと思うのです。
つまり、「信じる」とは、その言葉の前後に、どんな言葉がつながっていても、結局のところ、
「自分を信じる」ということに他ならないでしょう。

「自分を信じる」ことが出来るためには・・・
可能な限りの学習、そして、その学習の上に立った実践による経験を積むことは、言うまでもありません。
しかし、どれほど学習を積み上げ、どれほど経験をした上で未来に対する予測をしたところで、未来は常に不確定です。
よって、すべてに「根拠」を求めることは不可能です。
最後は、「自分を信じる」しかないのです。

そして、信じるために最も大切なことは、
「たとえ、どんなことが起こっても、そのすべてを受け入れる」という姿勢を持つことではないかと思うのです。
これは一見、信じる事と矛盾するように思われるかもしれませんが、今の自分に出来る限りのことをした上でなら、未来がどのような結論を出しても、それを受け入れるという姿勢が無ければ、「信じる」ではなく、単なる「思い込み」になってしまうと思うのです。

結局のところ、今の自分に出来ることを可能な限り実施する・・・これが、自分を信じ、自分と社会の将来に希望を持つために、必要なことではないでしょうか。

可能な限りのことを実施したうえで、初めて、「運を天に任せる」ことが出来ると思うのです。
それが出来れば、不確定な将来に、ビビルことは無いでしょう。

自信とは、普段の絶え間ない努力の上に、初めて生まれるのです。

2005年7月28日 板倉雄一郎

PS:
でもぉ?、信じてもらっても困るようなことで、「あなたを信じる」とか言われると、困りますよね(笑)
「いや、そういうことを僕に期待されてもぉ?・・・」って。
そもそも、相手に対して「あなたを信じています」なんて言うのは、信じていない証拠だよね。
この場合、相手にプレッシャーを与える目的で「信じる」という言葉が発せられるだけですからね。
いや、断っておきますが、誰かに迫られているわけではないですよ。





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