板倉雄一郎事務所 Yuichiro ITAKURA OFFICE

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KISS 第34号「だまし絵」

楽しかった。
エキサイティングだった。
うれしかった。
そして、疲れた(笑)

当事務所主催「実践・企業価値評価シリーズ」セミナー、第4回目が終了しました。
セミナーランナップ後の日曜日夜は、土曜日の朝、始めて合った受講生らと、深夜まで語り、飲み明かしました。(毎回そういうことになるのですが)
彼らとは、少なくとも物理的には、旧知の仲ではないはずです。
なのに、どうしても、僕は、それを受け入れられないのです。
彼らと僕は、こうして出会い、酒を飲み、語りあうことに、はじめから決まっていたように思えてならないのです。

現在の社会的分類方法で、今回の受講生を表現すれば・・・
平凡なサラリーマン、
地方都市の不動産王や、地元盟主のご子息、
不動産コンサルを手がける企業のOL、
サプリメント販売会社を経営する女性企業家、
株式公開申請を直前に控えた企業家、
大手商社のM&A担当者、
医者、
公認会計士、
個人投資家や、企業志望者、
そして、主婦や学生・・・・

誰にでもわかりやすく書こうとすれば、以上のようになります。
しかし、僕の勝手な分類で表現すれば、
彼らは、少なくとも「金に目の眩んだ人間」では、絶対にありません。
経済の本質を知ることは、
社会活動を行ううえで、最低限必要な、マナーであり、
自身が本来行うべき社会への価値提供の基礎であることを、
誰に教わるまでも無く感じていた方々なのです。
おかげで、当事務所主催のセミナーは、毎回、
「人*人=シナジー」の爆発となるのです。

人と人が出会い、共鳴することが、「シナジー効果」の源泉です。
箱と箱を、でっち上げ通貨や、高コストの借金によって統合するだけで、
1+1=3になど、なるはずがありません。
もし、単なる箱と箱を、一つにするだけで、新たな経済価値が生まれるのであれば、日本企業は、「株式持ち合い解消」など、しなければ良かったのです。
「企業買収」=(ほぼ)=「株式持合い」
と、思うのは僕だけなのでしょうか?

話は、どんどん拡大しますが・・・

「株主が経営者を選ぶ」という意見は、
あくまで、商法上の話に過ぎないのです。
実態的には、「経営者の振る舞いが、経営者と同種の株主を呼び寄せる」のです。
賢明な経営者の下には、賢明な投資家が集まり、
危うい経営者の下には、危うい投機家ばかりが集まる。
博打ライクな投機家による企業の支配は、
彼らの異常なまでの期待収益率のおかげで、
資本コストが上昇し、企業価値を破壊するだけなのです。

「株主が経営者を選ぶ」というのは、
投資家が、全うな経営者の経営による企業を選び、投資するということであって、
決して、おめでたい経営者の経営による企業を買収して、経営者を交代しようとする行為をさしているのではないのです。

経営者とは、資本の管理者であり、
経営者は、それを、収益配分の提案によって、表現する。
収益配分の対象は、
顧客、取引先、従業員、株主、そして社会など、すべてのステークホルダーなのです。

すべての価値は、人間が創造するのです。
その効率を調整するのが、経営者の仕事なのです。
価値創造を行える人間の集まりが、企業なのです。
決して、商法上の法人格のことを、企業と言うのではないのです。
企業とは何か?
KISS第27号をご参照ください。

===以下、本題「だまし絵」です。===

「金利」は、そのリスクに応じて変化します。
A社より、B社のリスクが一般的に高いと評価されれば、
A社の資金調達における金利(=有利子負債部分の資本コスト)は、
B社の金利を上回らないはずです。
つまり、「リスクが高い=資本コストが高い」ということです。
当たり前の、コンコンチキです。

さて、以上をベースに、
銀行(コマーシャルバンク)、国、国民の関係を見てみましょう。
我々国民から見た場合、銀行への預金金利は、「ほぼゼロ」です。
ちなみに、「預金」とは、我々が銀行に融資するということに他なりませんから、
預金金利が「ほぼゼロ」と言うことは、
我々の、銀行に対する信頼が、非常に高いと言うことを意味します。
つまり、我々は、銀行預金に対するリスクをほとんど認識していないというわけです。

ところで、その「銀行への信頼」は、如何にして生まれるのでしょうか?
システム上は、明らかに、「国による預金の保証」が、その根源ということになります。
国による保証が、預金者のリスク認識を「ほぼゼロ」にしている・・・???

このとき、銀行の信頼を担保する「国」の信頼は、いかほどでしょうか?
それは、国の発行する債券=国債の「利回り」が示しています。
国が、どれほどの表面利率で、国債という債券を発行しようが、
発行後は、市場にて売買され、国債の価格が変化します。
この変化した価格から、利回りは、簡単に算出できます。
10年満期国債の利回りは・・・・・・ご自身で調べてみてください。
国債の利回りは、少なくとも銀行預金金利より、遥かに大きいのです。
つまり、「金利」の側面から見た場合、
国より銀行の方が、より信頼されているということになってしまうのです。

銀行を信頼するから、国民は銀行預金金利が「ほぼゼロ」でも預金をする。
銀行を信頼する理由は、国による預金の保証による。
しかし、銀行預金を保証する国の信頼は、銀行への信頼より小さい。
これ、階段を登っても、元の場所に戻ってしまうという、
「だまし絵」そのものではないでしょうか?

「だまし絵」が現実に起こっているのは、以上のことに気がつくことが出来ない「国民のフィナンシャルリテラシーの欠如」が原因なのです。

日本国債も、YEN紙幣も、どちらのも発行主体は、日本国です。
既に、日本国の「過度なインフレ」の準備は、残念ながら整っているということです。

2005年3月22日 板倉雄一郎 

PS:
当事務所主催の次回セミナーは、「フィナンシャルリテラシー」をテーマにした講演会となる予定です。
4月の実施を予定していますが、5月からは、これまで同様「実践・企業価値評価シリーズ」の開催となります。
4月セミナー詳細が決定しましたら、この場でご案内いたします。
よろしくです。





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