板倉雄一郎事務所 Yuichiro ITAKURA OFFICE

企業価値評価・経済・金融の仕組み・株式投資を分かりやすく解説。理解を促進するためのDVDや書籍も取り扱う板倉雄一郎事務所Webサイト

feed  RSS   feed  Atom
ホーム >  エッセイ >  Keep it simple,stupid  > KISS 第104号「ナイジェリアの悲劇」

KISS 第104号「ナイジェリアの悲劇」

昨日(2005年7月23日)のNHKスペシャルは、「アフリカゼロ年・ナイジェリア石油争奪戦」と題したナイジェリアの石油をめぐるビジネスと汚職、その結果としての貧困についての特集だった。

ナイジェリアの石油資源に目をつけた欧米そして日本の石油メジャーが、彼らの地に押しかけ、石油採掘権を得る見返りに、ナイジェリア政府要人に賄賂を渡し、彼らの貴重な資源を奪って行った過程を描いていた。

要するにハリバートンのような石油メジャーが、ナイジェリアの政府要人をそそのかし、石油を我が物としていくわけだ。その政府要人は、金に目が眩んで国を売り渡してしまったわけである。
その金は、複数の国を経由し、スイスだかどこかの銀行口座にあるそうだ。
おかげで、何も知らない住民は、貧困に喘ぐというわけである。

そもそも、石油を掘り出すということは、経済的にどんな本質があるのだろうか・・・
たとえば、米が、彼らの通貨であるところのドルと引き換えに石油という経済価値を手に入れる。
産油国にとっては、石油という自国の資源とドル通貨の価値交換を行うということだ。
企業に置き換えれば、株式という自社の通貨によって企業買収を行う「株式交換買収」に相当する。
資源の代わりにドル通貨を受け取った彼らは、そのドル通貨で一体何を買うのか?
それは、すなわち、欧米の技術なり商品ということになる。
つまり、通貨を媒体にはしているが、その実「物々交換」に過ぎないのである。

もし、産油国が自国の資源の経済価値にいち早く気がつき、それまで以上の価格を提示したとしよう、たとえば、10倍の価格。
米は驚くだろうか?
何も驚く必要は無い。なぜなら、10倍の価格を提示された米は、ドル紙幣に「ゼロを一つ足して印刷する」だけで、何事も無かったように原油を手に入れることが出来るからだ。
ちょっと経済に詳しければ、「そんなことしたら、過度のインフレが起きる」とおっしゃる方も居るだろう。
しかし、彼らに渡したゼロの一つ多いドル紙幣で買えるものといえば、上記のように米の商品だったりする。
米は、原油採掘の技術や、その他米の提供する商品を、彼らに対して同じように10倍の価格で売りさばけば、それで済んでしまう。
石油メジャーは、さらに儲かる。
産油国が支払切れない分は、米が産油国に融資することによって賄うことが出来るというわけだ。
ゼロを一つ増やしたドル紙幣は、結局米の元に返ってくる。
オマケに、産油国に対して大口の債権者となることもできる。
産油国は、米の経済的奴隷になる。

資本主義いや通貨のマジックである。
これをもって、「資本主義の問題」を指摘する方も居るだろう。
しかし、共産主義でも、これと全く同じようなことが、起こる。
事実、共産主義国であるはずの中国は、世界的にも上位に入る「貧富の差の激しい国」なのだ。
欧米そして日本からの資本流入に利権を持たせ、彼らはナイジェリアと同様に自国を売り渡している。

システムの問題ではない。
システムを利用する人間のモラルと教養の問題に過ぎない。
何か問題が起きれば、表面的で一時的な解決策として、「新たな制度」を作る。
しかし、何度と無く書いていることだが、制度が何かを解決するわけではない。
闇金融を規制すれば、振り込め詐欺が横行する。
制度が出来ることは、その程度のことに過ぎない。
そもそも、万人にとって完璧な制度など、あるはずも無い。

大切なことは、それを好んでか好まざるかに関係なく、我々が資本主義経済の中に生きていることを認識し、その仕組みについて最低限の教養を身につけることである。
つまり、我々自身の生きている環境について、我々自身の教養を高めること以外に、豊かさを維持することは出来ないということだ。
と同時に、自国だけの豊かさを世界から独立して得ることはもはや不可能である。
テロにおびえる先進国を見ればわかるだろう。
物質的な豊かさの一方で、極めて窮屈なセキュリティーシステムを受け入れなければならない現実がある。(僕のように、ちょっと濃ぃ?顔の人間にとって、アメリカの旅はとても窮屈である)

国を構成する一人ひとりの経済的教養が高まれば・・・
汚職によって国を売り渡すような人間を政治家に選んだりしないだろう。
リスクに見合った金利を支払おうとしない金融機関に、わざわざ手数料を支払って大切な資産を預けたりする人も少なくなるだろう。
株主価値になんら変化をもたらさないオペレーションを実施する企業の株式を、その価値に対して高い価格で買う人も居なくなるだろう。
顧客に対してなんら価値提供の伴わない単なる「囲い込み」に過ぎないポイントシステムを提供する企業から商品を買わなくなるだろう。

結果、資本主義のシステムを利用しつつ、「人」の価値創造に対して、合理的な配分がなされるだろう。

国力や国の豊かさは、人口の多い少ないではない。
一人ひとりの教養に依存する。
少子高齢化におびえる前に、一人ひとりの経済的教養とモラルを高める方法を模索すべきである。

日本の場合も、ナイジェリアと程度の差こそあれ、本質的には変わらない。
1971年のニクソンショックとYENの切り上げ、それに続く1974年の通貨フロート制。
その後何度と無く発生したオイルショック・・・これらのショックを乗り越えてこれたのは、世界で最も高度な経済的付加価値を実現できる労働力のおかげだ。
我々の優秀な労働力を、我々自身の豊かさに結びつけるためには、我々自身が労働力の向上だけではなく、経済的な教養を身につける必要がある。
我々自身が、提供した価値に対して打倒な対価を受け取れるようになって初めて真剣に、世界の貧困に目を向けられるようになるのではないだろうか?
ろくに経済的な教養も無いまま、ただひたすら老後の心配をするような人間ばかりの国に、一体どんな価値があるというのだろうか。

2005年7月22日 板倉雄一郎

PS:
先日、YEOでスピーチをした。
彼らの中に居ると、どこからとも無く、「IPO」って言葉が聞こえてくる。
「3年以内のIPOを目指しています」
「先日、IPOの申請を済ませたところです」

だからどうしたっつーの。
IPOは、そんなに偉いのか?
IPOは、資金調達の「手段」に過ぎないじゃないか。
投下資本が増えるということは、利益が同じなら、投下資本利益率は低下するのだよ。
IPOによって、経営者が御世話をしなければならない利害関係者が増えるのだよ。
彼ら株主に対してどのように価値配分を行えばよいのか、そもそもファイナンスについての理解はあるのか?
つまり、株主資本コストについての理解はあるのか?
経済価値創造のメカニズムを知っているのか?
「企業は誰のものか?」などという、史上最悪の質問に対する解答を探しているようでは話しにならない。
その解答が「企業は株主のものだ」では、目も当てられない。
(以上の解答ケースは、YEOのメンバーのものではありませんので、あしからず)

経済的なリーダーシップを取るはずのアントレプレナーにおいては、少なくとも最低限の経済に対する理解をしていただきたいと思う。
彼らが率先して、資本主義についての理解を深めなくて、一体誰がそれを認識するというのだ。

資本市場は、経営者の財布代わりではない。
経営者は、あまねく利害関係者から価値提供を受け、価値創造を行い、創造された価値を継続可能なバランスで再配分することが経営者としての最大のミッションである。
経営者の自己実現は、以上のミッションが達成されることによって初めて実現する。
それを忘れるな。(←なぁ?んちゃって)





エッセイカテゴリ

Keep it simple,stupidインデックス