板倉雄一郎事務所 Yuichiro ITAKURA OFFICE

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KISS 第102号「時間などもろもろ」

本日のエッセイは、複数御題目です。

<時間>

我々は、4次元の世界に住んでいます。
X軸、Y軸、Z軸、そして時間軸。
時間が無ければ、存在が出来ても、存在は動きもしなければ、変化もしません。
そして、人は、考えることにも、行動にも、時間を費やさなければ成りません。
これをもって、何か行動しなければならないことがあっても、「時間がかかる」とか、「時間が無い」という表現をよく耳にします。
何か変化を起こすのに「時間が必要」なのは言うまでもありません。
が、多くの場合、問題先送りのイイワケにしているケースが多いように思います。

「時間が無ければ、何も解決しません。
しかし、時間が何かを解決してくれるわけではありません。」

人は、明日死んでしまうかもしれないことを、認識しなければなりません。
何かに気がついたら、「今」行動しなくて、一体いつ行動するというのでしょうか。

いつも書いているように、「稼ぐときと使うとき」を時間軸上で区別することには意味が無く、キャッシュにだけ注目した「稼ぐときと使うとき」とは、いずれも価値交換に過ぎないことを認識いただけるでしょう。
今この瞬間から、社会に対する価値提供は始められるわけです。
今始めないのなら、いつまで経っても始まりません。
なぜなら、どれほど時間が経過しても、それは「今」に過ぎないからです。

<教育>

教育とは、覚えさせることだという認識で、今の教育システムはデザインされているように思います。
そんな教育システムの中で、答えの規定されている問題を解き、優秀な成績をとるだけで、一流(?)大学に入学でき、後に、一流(?)企業に就職出来たりするわけです。
中には、国家に従事する官僚になったりする者も居るわけです。
「答えが規定されている問題」を解く能力があるだけで、重職に就けるというわけです。
そんなアホナ。

教育とは、「自ら考える能力を身につけさせる行為」であるはずです。

僕は中学生のとき、「円錐の体積の求め方」というのを公式で教わりました。
其の時、「どうしてこの公式で体積が求められるのか?」と先生に質問しました。
先生の答えは、「それは、高校に行って、積分を学習したときにわかる」でした。
呆れてしまいました。
順序が逆ですよ。

僕は、セミナーで、ディスカウントキャッシュフロー法による、投資家から観た企業価値評価をお教えしています。
このとき、「べき乗」を使う必要が出てきます。
たとえば、
「3年後の100万円を、年率10%で現在価値に割り引く」という計算をするとき、多くの人は、その解き方さえ自力で得ることができないわけです。
100万円=X(1+10%)^3
によって、Xを求めれば、答えが得られるわけですが、多くの受講生は、これをすぐに答えられません。
「テストのために、教えられ、覚えさせられる」から、テストが終われば忘れてしまうわけです。
しかし、「資本主義の仕組みを知りたい」というモチベーションがあれば、いとも簡単に学習でき、忘れることは無いでしょう。
教育の順番は、最初に、生きていくうえでの「必要性」を気がつかせることです。
「テストでよい点数を取らないと、立派な大学に入れないし、立派な大学に入れなければ、立派な仕事が出来ないよ」などと、恫喝しながら覚えさせようとする親と、教育システムでは、どんな学生も、楽しく勉強できないと言うわけです。

答えが規定されていることばかりを教えてきたから、
「DCF法を学ぶと、どのくらい儲けられるのか?」なんて馬鹿馬鹿しい質問が出るわけです。
そんなのに答えはありません。
自ら考え、未来を予測する以外に無いのです。
DCF法は、そのための計算方法に過ぎません。
(「合宿セミナー」に来ていただいた方の質問例ではありませんので、あしからず)

<教育と洗脳>

歴史認識や、それに伴う教科書の問題が取りざたされています。
僕の提案は・・・・
「わが国では、?事件を、?と認識しています。
しかし、?国では、同じ事象を?と理解しているらしく、
また?国では?と教えているらしい」と、教えればよいと思うのです。
この教え方なら、国際関係の現実を認識することが出来るばかりではなく、「何が問題なのだ?」と考える能力が身に付くと思うのです。
そして、答えは規定されていないのです。
教わった人間がどう感じ、どう行動するかに未来が依存していることまでも、同時に教育することができるでしょう。
現在の教育は、こと歴史認識に関して、日本に限らず、どの国の場合も、教育などではなく、「洗脳」に過ぎないと思うのです。

<たとえ>

僕はよく、「たとえがうまい」と評価されます。
こうして文章を書いている限りでは、まだまだ難しいことを難しく書いている部分がありますが、会話の状態では、自分でも惚れ惚れ(笑)するぐらい、「うまいたとえ」が出来るというわけです。
合宿セミナーの懇親会や打ち上げ(←つまり夜のセミナーね)では、ファイナンス理論を恋愛に置き換えて話したりすると、みな理解が深まるようです。

ところが、僕と直接話したことの無い方の中には、
「恋愛と経済を一緒にするな」などと、思う方もいらっしゃるようです。
はっきり言っておきますが、恋愛も、経済も、政治も、その本質には何も違いがありません。
なぜなら、どちらも、「人の心」が動かしているからです。
ファイナンス理論を中途半端に理解している人ほど、恋愛と経済を別物と考える傾向があります。
しかし、本質に一度でもたどり着くことが出来れば、どちらもその現象の根底には、「人の心」があることを理解できるのです。
ファイナンス理論なんて、人の心の経済的な現象面を理論時に語っているに過ぎないのです。

<魔法使い理論Version2>

KISS第73号「あなたの財産は?」および、
SMU第176号「魔法使いに三つのお願い」および、
僕の著書「社長失格の幸福論」にて既に書いたことですが、
魔法使いに三つのお願いが出来るとしたら、僕は・・・
「お願いは、一つで十分です。僕を魔法使いにしてください。」
と答えますと書きました。
それをさらに突き詰めて考えてみました。
以下、魔法使いと僕の会話です。

魔「ほう、魔法使いになりたいとな・・なぜそう思うのかな?」
僕「魔法使いになれれば、自分や他人をハッピーに出来るからです。」
魔「なるほど、ならば、なぜ『僕と社会をハッピーにしてください』と願わないのだ」
僕「がぁ?ん」

つまり、「魔法使いになる」とは、実は手段に過ぎなかったと言うわけです。
これからは、もし魔法使いに願いを許されたら、間違いなく、
「僕と社会をハッピーにしてください。」とお願いします。
それ以上のお願いなど、ありえません。

さらに続く・・・
魔「わかったかなおぬし、なら、お前を幸せにしてやろう」
僕「えっ、本当に魔法を使ってくれるのですか?」
魔「もちろんじゃ、幸せとは、自分が幸せだと思うことじゃ」
僕「ぽかぁ?ん」
魔「なっ、今、お前に魔法をかけたぞ。では」
僕「ぽかぁ?ん」
(笑)
魔法は、この世に存在するのでした。

<パートナーシップの弊害?>

KISS第64号「組織」にて、板倉雄一郎事務所のパートナーシップ制の利点について書きました。
多くの方から、この組織論について高い評価を頂いています。
ですが、一部、否定的な意見もあります。
否定的な意見とは・・・
「社会に提供できる価値を持っていない人は見ごろしか?」といったものです。

はぁ?(←疲れた感じね)
この世に価値の無い人など居ないと思うのです。
問題は、自分自身の価値に気がついていないか、価値を高める努力を怠っているかなのです。
年齢や特殊技術、そして人種などの問題で、企業に就職が出来ないと不満を述べる人が居ます。
企業が受け入れてくれなければ、自分で何かを始めればいいじゃないですか。
資本が無くても、就職先が無くても、勉強して、知識を得ればいいじゃないですか。
自身の不幸せの理由を社会に求めている限りは、幸せなんて絶対に得られないのです。
自分の社会における価値を高める以外に、自分がハッピーになる手段など無いのです。
そもそも、生きているだけで、ハッピーじゃないですか。

当事務所パートナーの橋口寛が、コンサルティングファームのアクセンチュアにおける戦略コンサルタントというポジションから独立し、個人事務所を開きました。
(左フレームのリンクの「後日乗」を参照ください。)
彼が独立するにあたり、当事務所の専属になるか、独立しパートナーという関係にするか、何度か話したことがあります。
僕は、以下のような考えを彼に伝えました。


あるクライアントに、橋口さんが直接価値提供を行い、その結果100万円の対価をいただけるとしよう。
このとき、板倉雄一郎事務所を経由して、橋口さんの提供する価値に、僕が付加価値をつけることによって、クライアントに提供できる価値が増大し、その結果、対価が200万円になるケースについては、パートナーとして一緒にやろう。
もちろん、増えた100万円のうち、50万円は僕が頂き、橋口さんも受け取る対価が150万円になるから、WIN2WINだよね。
しかし、僕が付加価値を提供できなかったり、提供できたとしても対価が100万円のままなら、橋口さんが直接クライアントと取引をすればよい。

と話しました。
結果は、柔軟な組織パートナーシップの維持となりました。

多くの企業組織を上記の例に置き換えると、僕の立場の人が、増えた100万円以上の、たとえば120万円とかを搾取している現状があります。
もし、長期雇用、安定収入という利点と引き換えに個人の収益が減るのであれば、搾取にはあたりませんが、既に終身雇用を捨ててしまった日本人労働者は、この搾取に気がつかなければなりません。

経済的な収入の将来に不安があるなら、その不安を打ち消すことを、勤務先や雇用契約に求めるのではなく、自分自身の価値を磨き続けましょうよ。

将来への不安とは、自分の価値に対する不安なのです。
将来への希望とは、自分の価値と価値創造に対する自信から生まれるのです。

<セミナーランナップ>

先週末は、楽しい楽しい合宿セミナーでした。
今回も、30名弱の新規受講生の方々、
そして、ほぼ同数の再受講の方々とご一緒させていただきました。
(「再受講」目的と言うより、月に一度の楽しいイベントって感じで集まってくれるわけですが)
ちょいと回帰的に考えればわかることですが、このままでは、「受講生30人、再受講生100人」とかになっちゃうわけなので(笑)、次回から再受講が有料になります。
とは言っても、1万円以下の再受講料の予定です。

今回も、遠くはニューヨーク、そして全国津々浦々から、集まっていただきました。
全く御世辞ではなく、ナイスガイ&レイディースばかりでした。
これだから、止められません。
なんてすんばらしいことを、僕は始めてしまったのだろうかぁ!
なぁ?んて、毎回思うのですが、そんなに楽しくてハッピーな裏腹で、翌月曜日は毎回24時間睡眠状態となるわけです。

まだいらしていない皆さんも、是非。

受講後は、投資家から観た企業価値評価ができるようになるのはもちろんですが、
1、 世の中の情報を鵜呑みにせず、自分で考える癖が出来る。
2、 数字の絶対値による判断を捨て、価値に目が及ぶようになる。
3、 社会に対する価値提供を真剣に考えるようになる。
4、 資本主義の仕組みへの深い理解が得られる。
5、 ルールや制度の使い手次第で、ルールも制度も生きたり死んだりすることが理解できる。
そして、仲間が出来る。
最後に、自分自身の価値に気がつく。

人生は楽しいものです。
なぜなら、知れば知るほど、知らないことの多さに気がつくからです。
いつまでも人生に対する興味を失わずに居られます。

今日は、こんなところで。

2005年7月19日 板倉雄一郎





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