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KISS 第103号「ゴーイングコンサーン」

ご存知の通り、投資家から見た企業価値とは、当該企業が生み出すであろう投資家に帰属するキャッシュフロー(=FCF)を、当該企業の加重平均資本コスト(=WACC)によって、現在価値に割り引いた総和をもってそれとします。

不動産価格の算定における収益還元法(といってもディスカウントキャッシュフロー法の特殊モデルに過ぎませんが)も、上記と全く同様に、当該不動産が生み出すであろう所有者に帰属するキャッシュフロー(=賃貸収入―メンテナンスなど費用)を、予定利回りで現在価値に割り引いた総和をもってそれとします。

債券利回りと債券価格の関係ついても、これと全く同じメカニズムで算定できます。

(以上のことは、当事務所のセミナーの第一コマで、あっという間に習得できます。金融商品の価値算定は、DCF法によってなされ、それ以外の方法は、DCF法の特殊例に過ぎません。)

以上からお分かりの通り、投資家から観た経済価値というのは、そもそも投資対象が永続することを前提にした価値算定と言うことになります。
つまり、ゴーイングコンサーンです。

(ただし、満期のある債券などの投資対象の場合、当然ながら満期までのゴーイングコンサーンということになります。また、割引率がある以上、何十年も何百年も先のキャッシュフローは、予測はしても、事実上経済価値にカウントされません。)

この投資家から観た企業価値が、企業のゴーイングコンサーンを考える上で非常に重要なのは、そもそもゴーイングコンサーンを検討するうえで、当該企業の利害関係者すべてが、当該企業に永続的に関わることが出来なければ、投資家に対する配分がなされないという事情があるからです。
つまり、(今度発売される僕のDVDでも述べていますが)投資家に対する当該企業からの配分とは、その他の利害関係者に対する価値配分がすべて終わった「残りかす」にあるというわけです。
価値創造と収益配分のコントロールを任せる経営者を選ぶ議決権が株主に与えられるのは、まさに「残りかす」を得るという「流しそうめん」の最も下流に居る投資家だからこそ、許される権利なのです。
逆に言えば、「流しそうめん」の上流に居る、顧客、取引先、従業員、債権者などが、当該企業に永続的に関わってくれるような経営をする経営者を選ばなければ、残りかすを継続的に手に入れることが出来ないと言うわけです。

(以上から、投資家に帰属するキャッシュを、一時的な株主が、「我々のものだ!」と豪語して配当という形で引き出そうとする行為に専念する投資家を、僕は投機家と呼ぶわけです。
確かに余剰現金は、有利子負債の無い企業の場合、株主のものです。しかし、手元の現金を引き出してしまえば、永続性による将来キャッシュフローを得られる可能性が低下します。
なぜなら、貯蓄が無ければ投資が行われないからです。企業内部における再投資が行われなければ、将来キャッシュフローの増大は見込めません。よって、企業内部の現金払い戻しによる配当を得られても、それ以上に株主価値が下落するというわけです。
断っておきますが、企業が投資判断を迷っている間に積みあがる余剰現金の場合と、使い道の無い現預金をひたすら積み上げた結果による余剰現金では、ぜんぜん意味が違います。
前者の場合は、収益の上がる事業への再投資の準備ですし、後者の場合はさっさと株主還元すべきです。)

たとえば、
株式分割による一時的な「実態株主価値より相当に高い株価」を利用した株式交換による企業買収および増資による資金調達は、その手段そのものに永続性がありません。
この株高の時点で、株式交換に応じた被買収企業の株主や増資に応じた新規の投資家は、後に損害を被ることになるでしょう。
つまり、この例に限らず、
株主価値の増大を伴わない、単なる市場操作による時価総額の上昇を狙うオペレーションは、永続性がありません。いずれ、株主価値相当に時価総額は下落します。
永続性の無い一時的なオペレーションを続けることは出来ません。
しつこいようですが、企業価値とは、当該企業の永続性を担保に得られるものです。
よって、少なくとも論理的に永続可能なオペレーションを実施することが、経営者に求められる最も重要なテーマなのです。

今年の4月、僕が「朝まで生テレビ!」に出演したとき、10分ほどの出演者の打ち合わせにて、司会の田原総一朗氏に、聞かれました。
「マネーゲームと、それ以外の区別は何ですか?」
僕は、答えました。
「継続が可能かどうかです。」
すると、田原氏が、少々興奮(したふりをしながら(笑))反論しました。
「企業なんて、継続しないじゃないか!」
僕は、微笑を浮かべながら、何も答えませんでした(笑)

確かに永遠に継続する企業なんて、無いかもしれません。
しかし、
「結果として破綻した企業」の場合と、
「継続不可能なオペレーションによって破綻した企業」の場合では、その意味合いがぜんぜん違うわけです。

たとえば、悪名高き「ねずみ講」の場合、スタートアップの段階から、論理的に(回帰的に)考えただけでも「継続不可能」なわけです。
これと違って、ベンチャーが新たな技術開発によって新規市場における地位を獲得しようとして、途中開発が遅れ、資金が枯渇して破綻するケースの場合は、論理的に継続不可能であったのではなく、単に「結果的に破綻した」といえる場合が多いわけです。
(中には、そもそも、それって無理があるでしょっ!て事業も無いわけではありませんが)
前者のように、回帰的に検証して継続不可能の場合と、後者のように、結果としてチャレンジが失敗に終わる場合では、結果は同じでも、その過程におけるマネーゲーム性には、雲泥の差があります。
前者の事業に乗ってしまった投資家は、「騙された」のであり、
後者の事業に乗ってしまった投資家は、「目論見が外れた」という違いがあるわけです。

さて、最近話題の新興市場に上場した企業の経営はいかがでしょうか?
中には、明らかにマネーゲームを展開している企業もありますし、
中には、少なくとも回帰的には継続可能な事業に専念している企業もあります。

「どうせ企業なんて継続しないのだから」と、前者のような企業の「価格変動」にだけ飛びつく投機家が増えることと、
「リスクを覚悟で」後者のような企業の価値創造に投資する投資家が増えることと、
どちらが投資家自身と、我々自身の生活を豊かにするか、考えてみてください。

今、環境問題が話題になっていますよね。
環境問題は、CO2がどうのこうのという表面で捉えられがちですが、その本質は、我々の住む環境の「永続性の確保」に他ならないわけです。
もし、30年後に我々が生きる環境が失われるとしたら、我々は日々の生活を今までどおり出来るでしょうか?
だれも子供を作ろうとは思わないだろうし、誰も価値創造など考えないでしょう。
きっと、世の中、荒廃してしまうでしょう。

もし、あなたの恋人と、1年でタイムアウトすることがわかっていたら、今までのようにその恋人を愛することが出来るでしょうか?
(もちろん、病によるタイムアウトの場合は話しが別ですよ・・・もしかしたらあなたの愛情によって、その病が解決するかもしれませんし、解決不可能な場合でも、タイムアウトまで愛することが、あなたの心を満たすことが出来るでしょう。)
結果的に破綻した恋愛と、「金も無いのに毎回フレンチレストランでデートを繰り返した挙句の資金ショートによる破綻」では、その意味合いはぜんぜん違いますよね。
そもそも、その相手は、あなたが目的ではなく、フレンチが目的だったりするわけですよね(笑)

ゴーイングコンサーン・・・これは将来の話です。
ですが、今を生きるのは、今の延長に将来があることを前提にしているからではないでしょうか。
今があるのは、過去のおかげです。
今、自分の過去をどう分析し、どう今に生かすかが、将来を作り上げます。
つまり、過去も将来も、今に凝縮されているということです。

不思議なことに(いや、ぜんぜん不思議ではないのですが)、経済価値算定方法に過ぎないディスカウントキャッシュフロー法を学ぶと、以上のことが良く理解できるようになるのです。

2005年7月20日 板倉雄一郎

PS:
例年のように、梅雨明けから8月一杯まで「夏休み」です。
ですが、今年は、「夏休みモード」程度にして、エッセイはペースを落としながら書き続けます。
また、8月27日は、「ファイナンス基礎講座」オープンセミナーです。
夏休み中の登校日ってところでしょうか(笑)
皆さんも、是非、数時間と一万円のコストを、皆さんの将来の糧にしてください。
また、同時に、9月の合宿セミナーの募集も行っております。
よろしくです。





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