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KISS 第115号「朝三暮四」

朝三暮四・・・
おサルさんに、食料としてどんぐりを朝3つ、暮4つ渡したところ、おサルさんは「少ない!」と怒ったので、朝4つ、暮3つにしたところ、おサルが納得したという話を元に、
「目先の違いに気を取られ、結果が同じことに気が付かないこと」または、
「うまいことを言って、他人を騙すこと」という意味だそうです。

原文の意味は、以上の通りですが、僕は、
「朝三暮四」、と、「朝四暮三」の結果が同じだとは思いませんし、
おサルさんと、「朝は4つにしてあげるから、暮は3つで我慢してね」なんて交渉は不可能だと思いますので、朝三暮四を僕なり、現実的に、勝手に、解釈して以下の文章を書きます。

動物園のおサルさんに、日に7本のバナナを食料として与えるとき、
朝4本、暮3本を与えると、おサルさんは、
「朝は4本もらったのに、暮には一本減ったぞ!」と怒る。
なので、
朝3本、暮4本を与える。
すると、おサルさんは、
「朝は3本だったのに、暮は一本増えたぞ!」と喜ぶ。
次の朝は、昨日の暮に4本もらったことを忘れるから、朝三暮四を繰り返せば、動物園のおサルさんたちは、平和に暮らせる。

実は、これ、金融のプロとフィナンシャルリテラシーの低い一般人の構図である。

もし、賢いおサルが居れば、朝4本頂き、3本をその場で食べ、残りの一本を、暮までの間に、他のおサルさんに貸し出すことが出来る。
もちろん、金利として、日にバナナ一本を受け取る。
すると、朝4本受け取ったおサルさんは、他のおサルさんに貸したバナナを、暮に金利と元本あわせて2本受け取ることができ、飼育係から受け取る7本に、金利分の一本加えた8 本を受け取ることが出来る。
つまり、受け取る権利は、それを運用する能力と機会に恵まれていて、かつ、預けておく場合の金利が発生しないのならば、なるべく早く行使したほうが良い。
(↑資産運用)
一方、マヌケで食い意地の張ったおサルさんは、朝3本では満足できないから、上記の資産運用おサルから、朝一本を借りる。
「どうせ、暮には飼育係から4本受け取れるんだからそれで返せばよい」と考え、その場で4本を食べる。
暮、飼育係から頂いた4本のうち、一本を元本、もう一本を金利として、資産運用おサルに返す。
残った2本を食べるが、朝より少ない。
腹ペコのまま、次の朝を向かえ、再び資産運用おサルから、朝の一本を借りる羽目になる。

無論、おサルさんは、バナナの貸借契約を考える能力も、その契約を遵守する責任も持ち合わせていないはずだから、この例は、あくまで人間をおサルに置き換えた比喩に過ぎない。
しかし、この馬鹿馬鹿しいケースは、現実の経済活動の中で煩雑に起こっており、事実、マヌケなおサルさん的な人間の方が、「圧倒的」にこの世に多く存在する。

高金利のサラ金なら、どなたでも理解できるでしょう。
しかし、サラ金より複雑になると、多くの人は、マヌケなおサルさんになってしまう。
たとえば、「ボーナス付保険」なるものは、その一つの例だ。
1年間の掛け金がおよそ10万円、10年後の無事故ボーナスが20万円の医療保険があったとする。
多くの人は、無事故だった場合の損得勘定を以下のように行ってしまう。
初年度支払10万円、
2年目支払10万円、



10年目支払10万円、受け取りボーナス20万円
(このボーナス20万円が、ちょうど「朝三暮四」の「暮四」にあたる)
10年間で、計、+20万円-100万円(=10万円*10年分)=80万円の支出。
で、これを単純に10年で割って、
「年間8万円の支出で、医療保険が買える」と。

このブログを読んでいらっしゃる方なら、以上の計算が、如何にマヌケであるかはよくご存知だと思う。
この計算は、「お金の時間価値」や、将来の「インフレ=貨幣価値の低下」を全く考慮していないからだ。
多くの人は、今日の20万円と、10年後の20万円の区別がつかない。
だから、長期に渡る現金収支を「ベタ計算」してしまうのだ。

多くの方は、
カネを貸すという行為の場合なら、「金利を取って当然」と考える。
今日受け取る20万円と、10年後の20万円なら、「今日の20万円」を選ぶ。
なのに、ボーナス付保険のように、ちょいと複雑(?)になると、この考えをどういうわけか忘れてしまうのだ。

一方、お金のプロであるところの保険会社は、10年後の20万円の現在価値は、20万円よりはるかに小さいことを知っていて、且つ、今年の10万円が、10年後には、10万円よりはるかに大きく成ることを知っている。
(いくつかのボーナス付保険のIRRを計算してみたが、無事故の場合は、当たり前だがIRRは相当にマイナスになり、病気や怪我などの頻度が多ければ、IRRは相当にプラスになる。)

「いやいや、でも保険があると安心だからさ!」って意見は無視できない。
しかし、だったら「掛け捨て保険」を選べばよい。
「いやいや、手元にお金があると使ってしまうから」って意見は、まさかこのブログを読んでいる人の中にはいらっしゃらないと思うが(笑)、その場合でも、条件のよい掛け捨て保険を選び、ボーナス付保険に比べて減った支払額相当の現金を、もっと利回りのよい金融商品で運用する方が合理的である。

他にもまだまだ「朝三暮四」による経済価値移転は、たくさんある。
量販店のポイントシステム(←これについては「おりおば」参照)は、ポイント還元率と同等の値引きをする場合に比べ、顧客側のメリットは、「100%無い」。
ポイントを貯めるという行為は、量販店に「無利子でお金を貸している」行為に過ぎない。

結果、経済価値は、「お金の時間価値」を知らない者から、それを知っている者の元へ移転する。

仮に、生活のためのお金に不自由していないとすれば・・・
今日受け取る10万円と、1年後に受け取る10万円なら、よほどマヌケ出ない限り、今日の10万円を選ぶでしょう。
では、今日受け取る10万円と、1年後に受け取る13万円なら、あなたはどちらを選びますか?
また、選んだ理由は何ですか?

お金の時間価値・・・これを理解できなければ、せっかく労働して得た経済価値を、気が付かぬ間に、もって行かれてしまいます。

あなたは、おサルさん? それとも人間?

2005年8月30日 板倉雄一郎

PS:
以上の文章を書いていて気がつくのが、今回の衆院選で議論の一つになっている「年金」である。
資産運用の知識のある僕にとって、毎月1万3千円程度の国民年金の支払は、出来ることならしたくない。もっと利回りの良い運用を自ら可能だからだ。
「強制加入」の資産運用が必要なのは、国民のフィナンシャルリテラシーが低いからだ。
超長期の国策を考えれば、「行き当たりばったり」、「その場しのぎ」のくだらん議論ばかりしていないで、教育についてもっと真剣に取り組むべきだ。
この日本は、法治国家であり、民主主義国家であり、資本主義経済の国である。
しかし、これらについて、義務教育の中で、なにか教えているか?

僕が、たとえば、算数を教えようとすれば、まず、実際の経済活動の例を持ち出し(=小学生だって経済活動を行っている)、上記のような「賢いおサルさん と マヌケなおサルさん」の物語を説明する。
興味を持った生徒に対し、将来の現金収支の現在価値(←なんて言葉は使わないと思うが)の割り出し方として、「割り算」や、「分数」を教える。
しかし現状は、
「100万円の1割引は、90万円ですが、90万円の1割増しは、いくらでしょうか?」などと、「数字だけ」の教育を行っているように思う(少なくとも僕の記憶では、そうだ)。
これでは、計算のための計算になるだけで、「偏差値」や「御受験」以外の学習の目的、学習への興味が生まれないのだ。

「1年後の100万円を、年率10%で現在価値に割り引くといくらになる?」という質問に、まったくチンプンカンプンな人はたくさん居る。
なので、質問を別の角度に変更してみる。
「あるお金が、年率10%で運用したら100万円になった。あるお金とは一体いくらだ?」と。
「90万円」と答える人は少ないがゼロではない。
また、「90万円よりちょっと多いぐらい」と答える方も居る。
しかし、正確に計算するには、時間が必要らしい。
100万円=X*(1+10%) 、 よって、X=100万円/(1+10%)
という式を作り出せない方がいらっしゃる。
ここまでできても、
「では、2年後の100万円を年率10%で現在価値に割り引くといくらになる?」という質問になると、チンプンカンプンな方も存在する。
100万円=X*(1+10%)*(1+10%)=X*(1+10%)^2
よって、X=100万円/(1+10%)^2
(「^」はべき乗)
道具の使い方をいきなり教えたところで、その道具が何に使えるのか=自分にとってどんなメリットがあるのか、がわからなければ、誰もその道具の使い方の学習に興味などわくわけが無い。
現実社会での利用の仕方とセットで教育しない「学力向上だけ」のカリキュラムでは、何の意味もない。

少子高齢化が問題らしい(笑)、しかし数より質だよ。教育だよ。
郵政の資金を民間に流そうとしているらしいが、本質的な問題は、お金を社会の役に立たない場所に預ける預金者の問題だろ。

しかし、残念なことに、どの政党が政権をとろうが、全うな教育カリキュラムは期待できない。
なぜなら、全うな教育を行ったら、「如何に政治屋がインチキであるか」が、バレバレになるからだ。
下手に経済的な教育を行えば、
「どうして、銀行の信用を担保している国の方が、銀行より資本コストが高いの?」
(国債の利率はおよそ1.5%、銀行預金金利は、ほぼゼロ
参考エッセイKISS第35号「だまし絵」)
なんて質問が出てしまって(笑)、バケの皮がはがれてしまう。
挙句の果てには、誰も国債を引き受けなくなってしまう。

教育ってのは、実に、その施行者の都合で行われているものだ。
僕に子供が居たら、「学校の勉強は、帰ってきてから御父さんが教えてあげる。だから学校へは友達を作るために(=社会活動の練習のために)だけ行け」と言うだろう。
そして、偏差値の高い学校へ行かせるより、僕自身が、法治国家、民主主義、資本主義について教育するよ。
僕の遺伝子が、社会に役立ち、その結果として僕の遺伝子が生き残れるように。
なぁ?んて言うより、自分の遺伝子を残す方が先だろってか・・(笑)





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