昨日のKISS第84号「教育と国力」に関して、以下のような内容のメールを、僕の友人で、元レーシングドライバー、現「デリバリーワイン」のS氏より頂きました。
「
本来経営者は経営者として、リーダーとしての才能を持ち、そして専門の教育を受けた人間が就業すべきポジションなのではないでしょうか?
なのに日本の会社は他の社員たちと同じ環境で育ち、同程度の経験しか無い人間の中からリーダーを選んでしまいます。
例えて言うならば、レースの世界で日本の自動車メーカーがF1に参戦するにあたって、最高の技術者と資金を投入し、最高のエンジンとシャーシを作ったのに、「さて運転は誰に?」となった時に、
「じゃあ、●●部のだれそれ君は確か運転の腕には自信があったな、学生時代も自動車部だったらしいし、彼にやってもらおう・・・・」と言っていきなりセナやシューマッハの中に素人の運転手を放り込むようなものだと僕は思います。
フランスでは古くからエリート教育が確立されていて、グランゼコール、エコールポリテクニックと言った社会のトップエリート達を教育する仕組みになっています。
そこには、特権意識や差別などではなく、社会のリーダーとしての自覚、人の上に立つ人間としての社会的責任や倫理観を徹底的に教え込まれます。
優れたリーダーに恵まれない民はきっと不幸な末路を辿ります。
」
特に、
「
そこには、特権意識や差別などではなく、社会のリーダーとしての自覚、人の上に立つ人間としての社会的責任や倫理観を徹底的に教え込まれます。
」
の部分に関しては、まさに「ノーブレス・オブリージェ」を表現しています。
この文章を書いた彼は、10代で「全日本カート選手権チャンピオン」になり、その後、単身ヨーロッパに渡り、主にフランスでレース活動を続けていた経験を持っています。
(詳しくは、「イタクラスタイル」の、「ワイン」のエッセイにて)
彼は、「経営者」としての教育を受けたわけではありません。
しかし彼は、経営や経済について、その本質を非常に良く理解しています。
それが経営であれ、哲学であれ、科学であれ、スポーツであれ、宗教であれ、なんであれ、これらは、我々の存在そのものに対する理解を深めるための手段に過ぎないと思います。
どの手段であれ、その道を極めた方は、皆、同じような話をします。
どの手段であれ、目的地は、全く同じ場所なのだと確信しています。
僕が、他人に興味を示すとき、それは、その方の手段や、手段の中での実績ではなく、その手段を通じて、本来の目的地までの「今、何合目にいらっしゃるのか?」ということだけです。
僕は、我々の生まれ持った目的の場所がどこであるかについて・・・
自分より深い理解を得ている方にお会いすれば、心から尊敬し、
自分と同程度に理解している方にお会いすれば、共感し、
自分より理解が浅い方にお会いすれば、自分の持っている何かを伝えようとします。
今、自分が歩っている道を、自分の精神に照らし合わせ、「正しい手段である」と信じられなければ、いつまで経っても、目的地にたどり着けないと、常に意識しています。
人生の残り時間が少なくなったとき、「この道じゃなかった!」などと、後悔したくないですよね。
しつこいようですが、僕の最も尊敬する歴史上の人物の言葉を・・・
「人の一生は重荷を背負いて遠き道を行くが如し、急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし(続く)」By 徳川家康
(つまり、自分に言い聞かせていると言うわけです(笑))
2005年6月14日 板倉雄一郎
PS:
昨日は、もろもろの方々と一緒に、久々の「朝までカラオケ!」でした。
すんごく楽しかった。
そして、すんごく眠い。
でも、ご一緒させていただいた社会的責任のある方々が、本日も朝から活動されていることを思うと、僕もワクワクしてきます。
今日も、また一歩、僕なりの目的地に向かって進むことが出来れば幸いです。