板倉雄一郎事務所 Yuichiro ITAKURA OFFICE

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SMU 第107号「ずうずうしく生きる」

このところ、どういうわけか、良くないことが多発しております。

車を運転中、オカマを掘ってしまったり(ウィンカーがつぶれる程度の軽度)、以前美味しかったお店に友人を連れて行ったら、とんでもなく不味かったり(途中で店を変えるほど)、犬の散歩ですっ転んで、両膝、両腕をすりむいたり(擦り傷としては重症(?))おかげで、日課であるところのプールに入れなかったり(デブになる)父親が庭で足を切る怪我をして、夜中に病院の救急に連れて行ったり(その場の治療と投薬程度)昔遊んでいた女の子に電話しても折り返しが無かったり(まあ、何年か開いているので仕方ない)と、まあ大事に至るようなことは、今のところ無いわけですが、続くときは続きます。

こういう時って、ありますよね。

ケータイとパソコンが同時に不具合を起こしたり、目覚ましが正確に作動しなくて、予定に遅れそうになった上に、忘れ物をして家に引き返すとか、そういうことが重なることってありますよね。

なんでしょうかね・・・なにか見えない力が働いているのでしょうかね?やり過ごすのが一番・・・なんて書くと、占いとか運勢関係の人が、「それじゃ駄目です」なんて言い出すんでしょうけれど、僕の場合、やり過ごすことにしています。注意深く。

それでは、本題「ずうずうしく生きたものの勝ち」です。

このところ、金融機関の再編や企業再生などが話題に上ることが多いです。野球チームの合併なんかも、広義では経済にまつわる合理化の延長ですね。

で、その主役だ「と思われている」企業の代表者だとかの思惑や交渉の経緯などが目に付きます。ですが、本当の主役の視点からの記事やコメントなどを拝見することは、実はあまり無いと思うわけです。

たとえば企業であれば、買収・合弁に限らず日々の経営における主役は、いわずもがな株主なわけであって、ある企業が、どの企業に買収されるかなんて話は、株主の視点から見れば、合理的な結論が見えるわけです。

A社とB社、どちらと合併した方が、株主価値が高まるのか・・・ただそれだけで良いわけです。それ以上の答えはないし、それ以外の結果にまとまるようなことになれば、その決断を下した経営者は、事実上の背任行為ということになるわけです。

例えば「敵対的買収」という言葉があります。その買収手続きなどの「カタチ」によってそう呼ばれるわけですが、「一体、誰にとって、敵対なのか?」僕はいつも悩んでしまいます。

わが国の経済の場合、「物言わぬ株主」と昔から言われていますが、この辺が根本的な問題です。それには日本人独特の「間違った恥」みたいなものが根底にあるように思うのです。つまり「金の損得で騒ぐことは恥」といった、実は合理的な説明が全くできない恥の解釈です。その一方で、そもそもある一定の経済環境の下でしか経済的効果を生まない年金だとかの議論をしていたり、サラリーマンは取引の中で、しつこく価格交渉などをするわけです。不思議です。だって、お金はどこにあっても、何で稼いでも、1円は1円であって、何にでも使えるわけですからね。

どうにも執筆が進まない「おりこうさんとおばかさん」で取り上げていることの一つですが、「(生活に困っていない状況で)一年後の確約された120万円より、今日の100万円を選ぶのに、一方で年利10%の金融商品に飛びつく」という、わけのわからない人が多いのもうなずけます。

損するのがすきなんですかね、我々日本人は????

「僕は金が欲しい!」などと、至極当たり前の人間の心理を表現する人に対して、どこか違和感を覚える人が多いわけですが、それが犯罪や他人を故意に裏切るような行為でない限り、「ずうずうしく」自分の利益を主張した者の勝ちですよ。

自己を納得するために、稼ぐ人間を妬むエネルギーがあるのなら、そのエネルギーを「ずうずうしく生きる」ために使った方が、健康的だと思います。

2004年9月9日 板倉雄一郎





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