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SMU 第49号「いい子ちゃんはもうやめた」

たまたまアマゾンの自著の書評に目を通してみた。
近著はあまり売れていないので、新たな書評は数個しか見つからなかったが、その中に興味深い書評を見つけた。

「社長失格」と「社長失格の幸福論」の双方に書評をくださる「つる姫」と名乗る方の書評である。その方の書評には僕の文章に対して否定肯定両方含まれるが、どこか「愛情」とか「暖かさ」ばかりではなく、僕がどのような人間であるかのヒントを見つけられるような気がした。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/cm/member-reviews/-/A2SD54SXCBHT5X/1/ref=cm_cr_auth/249-6364690-8653104
一体どんな方なのか連絡を取りたくて、アマゾンのシステムを探してみたが、残念ながら連絡を取る方法を見つけることができなかった。
(もし、このエッセイを見ていたら、是非連絡が欲しいと思う)

その方には断りも無く一部を引用させてもらうとこうなる。

(前略)
ただ、前作ではできごとに沿って自分の気持ちをストレートに表現しているという印象をもったのですが、今回の作品ではなんだか背伸びしているような印象でした。現状の自分に満足できなかったり、焦っていたり、以前の同業者に張り合う気持ちがあったりするのは無理ないことなのですが、言われたことの底意が「はじめからお見通しだった」というような言い方になっていたり、繰り返し「起業家の僕」という言い回しを使ったりすることで「社長失格」をむりやりはがして、「有能な自分」というレッテルに張り替えようとしているような、そんな感じをうけました。
(後略)

う〜ん。なかなか鋭い指摘だ。
もちろん細かい部分で誤解もある。
たとえば「社長=起業家」ではないので、僕は「社長失格」のレッテルを剥がそうとはこれっぽっちも思っていないし、「社長失格」でかつ「起業家」であることに十分満足している。
しかし、そんなことはどうでもよいことで、「自分の気持ちをストレートに表現していない」そんな自分に気がついたらなっちまっていた。ってことが重要なのだ。
この「つる姫」さんには、とにかくお礼を言いたい。

というのも、このところの僕はどこかヘンだからだ。
過去のエッセイを読み返してみても、なんだかヘンだ。
たとえば、離婚に関して書いた号についても、いろいろカッコつけた言い訳のようなことがかいてある。もちろん彼女との相性が悪かったのは言うまでもないが、そんな彼女と結婚したのは、今考えてみれば「まぁ、魔が差した」ということでしかない。
さらに、この日本という国におそらく起こりうるであろう(いやもうその状態になっている)国家破綻についても、「何とかして救いたい」などとも、「もうだめだから仕方ない」などと思っているわけじゃなくて、本当のところ「あほな政治家と役人ども、およびそれらを育てた世代(=国家破綻でもっとも被害をこうむる高齢資産家)にさっさとケツを吹いてもらいたい〜ざまあみろ」ってことでしかないわけだ。
要するに、どこかかっこつけて、わかってる振りして、いい子ちゃんで居ようと無意識のうちに変化していたってことだ。

ことの発端は結婚にある。
もちろん元妻が悪いわけじゃない。
最も結婚が似合わない僕が結婚という手段を選んだことが原因である。
似合わないことを、上手にこなそうとして、あらゆる僕の個性がだめになり、おそらく市場価値もずいぶんと失われたというわけだ。
そして失われた市場価値に気がつき、あせり、しかしながら結婚当時のいい子ちゃんぶる姿勢だけが残ったという最悪の事態に陥った。
ピーター・F・ドラッガーの言葉にこうある。
「不得意なことに時間を使ってはならない。自らの強みに集中すべきである」

漠然とした将来に対する不安を打ち消すためだったのではないかと、今のところ過去の自分の行動を分析しているが、将来なんてものは常に漠然としていて、不安と期待が入り混じって揺れ動いているものなのだ。そんなことはずいぶんと前からわかっていた。だから起業家で居られたわけだし、確実なものなどこの世にないことも、僕を起業家たらしめた最も大きな要素であった。
にもかかわらず、そんな基本的なことを、いつの間にか失っていたというわけである。

しかし一方で、離婚騒動から現在に至るまでのおよそ一年は、僕にとって非常に貴重な経験を与えてくれた。(いや、自分で買った経験だった)もしかしたら、倒産より結婚に失敗したことのほうが大きな挫折感を味わったのではないか。
結婚当時から自分らしからぬ自分に気がつき、無理をしていた。次第にアルコールの量が増え、頼まれごと以外の仕事が手につかなくなり、不自由を感じ、自分の価値を感じなくなっていた。まさに「つる姫」さんの書評にある「社長失格の幸福論」の連載の時期と重なる。だからあの文章は「ストレートな表現」を失っていたのだ。

しかし、立ち直ることができれば、すべての過去は、よい経験でしかない。
元妻が何を目指して、今何をしているのかさっぱりわからないが、彼女も彼女なりの人生の成功のために、結婚の失敗を糧にしていることだろうと思う。彼女はそういう女性だ。
「人に迷惑をかけていて、よくもそんな自分勝手な解釈ができるものだ」などと聞こえてきそうだが、はっきり言っておこう。僕は自分勝手だ。おそらくこの世のほとんどの人が自分勝手だ。そして、自分がどんな事態に陥ろうとも、それが直接的には誰か他人の責に帰することであっても、すべては自分が招いたことなのだ。生きるためには、どんな過去であっても、それを自分の将来の糧に変換できることが求められる。僕はそうありたいし、すべての人がそうであって欲しい。

久しぶりのエッセイだったが、今後も「書きたいときに書く」という姿勢に戻そうと思う。
せっかく、原稿料も、締め切りも無い自前のエッセイなのだから、真に訴えたいことだけを、訴えたいときに書いていこうと思う。
いい子ちゃんはもうやめた。似合わないし、疲れる。何の価値も無い。

板倉雄一郎 2004年3月21日





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