板倉雄一郎事務所 Yuichiro ITAKURA OFFICE

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SMU 第8号「経済対策」

「10月31日、ライブドア民事再生法適用を申請」僕が代表を務め、1997年に自己破産という結果に終わったハイパーネットが世界で始めて考案、開発、知的所有権化、日本、韓国、北米で事業化したハイパーシステムを完全にパクッた彼らライブドアが「降参」した。

とても複雑な気分である。彼らの経営陣とも面識がある。

あるから、彼らの失敗は経済的に僕にはまったく関係ないことだが、気にかかるのも事実。その一方で、現在も世界各国で徐々に成立している「ハイパーシステム特許」に対し、米の同業者がこちらから特に何も打診していないのにも関わらず、彼らから積極的にライセンス契約を求め、正式な契約を交わしているのに対し、ライブドアはその辺の事情(つまり、このサービス特許は、僕が発明。当時のハイパー ネットが全世界に特許申請、同社倒産後、回りまわって現在GMO社が権利者となっている)を承知の上で、ライブドアから話が無かった事は、腹立たしいことだったから、「ざっまみろ」って部分が無いわけでもない。

さらに、このビジネスモデルが、少なくとも彼らの経営手法と日本の環境では、成功するビジネスモデルではなかったことが再確認されて、残念でもある。

以上、3つの思いが交錯する状況なのだが、ハッキリしているのは、僕自身もそろそろ過去の栄光(をしょっているつもりは毛頭無いが)をかなぐり捨て、同時にいつまでも倒産による経済活動の(ちょっとした)遠慮と我慢から卒業しなければならない時期ということだろう。

いよいよ2003年。倒産時に決めた「自ら積極的に動かず、周囲の依頼に応えていく姿勢」から「積極的に経済活動を開始する姿勢」へと生活も精神も切り替える時期が到来したというわけだ。

今ある、僕自身の活動のための多くのオプションの中から、選択と集中を行い、来年からの活動に備える最後の準備期間を大切にしたいものである。

不思議と最近、倒産前の人脈との交流が増えてきた。これまで彼らとの関係を積極的に避けてきたわけでもなければ、ここに来て彼らとの関係を経済活動として復活させようと思っているわけでもなく、僕が関わるビジネスによって必然的にそれらの関係が復活してきているだけのことではある。

たったそれだけのことではあるが、何か「やり直し」を始める雰囲気が十分に漂って いると実感するのは錯覚なのか、それとも潜在的にそれを求めているのかちょっとわからない。でもまあ、倒産とその後の考察によって得られた数々の教訓を忘れず、ニュートラルな姿勢で積極的な経済活動を心がけようということで、まさにスタート・ミー・アップな週でした。


<第8号>経済対策

日本経済が低迷している理由・・・その理由は、少なくとも不良債権問題ではありません。

不良債権というのは どんな時代でも存在するし、経済全体が低迷すれば、必然的にその絶対額は多くなり、経済が好調のときは、その絶対額が小さくなるという、単純な話。

つまり、経済が低迷していることが、不良債権を増やしているに過ぎないわけだから、問題は経済の低迷を解決することであって、不良債権処理ではあり得ないのです。

つまり、不良債権が増えれば経済を低迷させる力となるのは明らかだが、不良債権そのものを金融的に解決(=つまり税金をぶち込む)しても、経済そのものは全く再生しないということだ。

この辺が現場を知らない 学者の愚かな考えなのは明白。経済活動というのは、資金や資産がある一定の会計単位の中(たとえば国)で、どれほどあるかという量の問題ではなく、どれほどの経済価値が「循環するか」にある。

さて、それでは、なぜ金が動かないのかについてですが、僕の持論はこうです。

「金を持っている人と、金を使いたい人が別人」

つまり、現在 日本国民の保有する総資産は1,400兆円とも言われているわけだが、これらの資産の大部分は、いわゆるご高齢者の持ち物(極めて正確には、このうち700兆円ぐらいは日本国債に回っていて、既に無いも同然であるかもしれないが)であって、現在積極的に労働と経済活動をしている年齢層のものではないということ。

ご高齢者は金を持っていても、これといった使い出が無い。使わなくても資産運用として投資するというオプションがあるわけだが、それについても消極的。

で、それ自体が実質的に経済性を生み出さない「土地」や「銀行預金」や「郵貯」などに預けているだけというわけだから、金が動くわけが無い。

(本来は、彼らの資産を預かっている金融機関が積極的にその機能を社会経 済に提供すべきなのだが、それが機能していない事は事実なので仕方が無い )

じゃあどうするか?僕が提案する一つの手法は、こうである。

「生前贈与税の一定期間無税化」つまり、ある一定期間、親から子へなどの生前贈与に関わる税金を全くとらな いという手法である。年間の「相続税」の税収はおよそ2兆円と聞いている。この税を国がいただかなくても、いただいても国家財政にはたいした影響が無いと言える。

一方、たとえば馬鹿息子が親から多額の資産を贈与されれば、きっとたくさん遣うことになる。車でもパソコンでもレジャーでも何でも良い。とにかく金が少なくとも今よりは動き出すというわけだ。

何も親の金をすべて子供に譲ろうというわけではなく、いずれ贈与され、そのときに(額にもよるが)多額の税金を払うぐらいなら、この無税期間にさっさと生前贈与してしまったほうが、ましだ!っと資産家が考えてくれれば、経済が活性化するというわけ。

経済が活性化すれば、雇用も増える。雇用も増えれば需要も増える。需要も増えれば、金が循環を始めて、結果として税収も増える。という良循環になる・・・かもしれない。

僕は政治家でも、経済学者でもないから、何の責任も感じないまま、単純に考えたわけだけど、少なくとも「マクロ経済は結果に過ぎない」と考える僕は、庶民の経済活動こそ、国の経済を立て直すたった一つの手段だと考える。

ちなみに、僕の両親は、僕が今以上に経済を循環させようと思うほどの資産家ではないのだが。

2002年11月06日 板倉雄一郎





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