板倉雄一郎事務所 Yuichiro ITAKURA OFFICE

企業価値評価・経済・金融の仕組み・株式投資を分かりやすく解説。理解を促進するためのDVDや書籍も取り扱う板倉雄一郎事務所Webサイト

feed  RSS   feed  Atom
ホーム >  エッセイ >  スタートミーアップ  > SMU 第41号「スゴイ」

SMU 第41号「スゴイ」

最近に限ったことではないが、このところ僕はよく、「自分は本物ではないな」と思う。 人と付き合うときに持っている心、その動機や深さ。 事業をやろうとするとき、何かを手に入れようとするとき。 すべてに対して、本物ではないと思う。 僕が高校生だった頃、ある人との会話で興味深いことを気がつかされた。 僕は当時、ある女性に片思いをしていた。 ちょっと人気のある女性だった。 特別なことは、彼女と二つ違いの彼女の兄が、スゴイ事だった。 彼は僕と同じ進学校に通っていたが、その成績は常に500人居る学年で上位3人以内。 かなり古い言葉だがガリベンヤローかと思えば、当時ブームだった東京都心のディスコにて、これまた当時よくあったディスコキングなる称号を与えられているとも聞いていた。 これまた当時はやっていたルービックキューブも、自分なりに解法を編み出したという嘘だかホントだかわからない話すら、彼については言われていた。 よくある衝動だが、そんな彼を兄に持つ彼女を手に入れるために、いかに自分がスゴイのかをプレゼンしたりしたくなった。 そして、いくつか適当なジャブを打つ。 最初は、フツーよりちょっとだけ自信のある辺りを出してみる。もちろん、「スゴイダロー」という気持ちを可能な限り打ち消しながらである。 それで興味をもたれれば「しめたものだ」などという不純で怠慢な思いは、多くの場合思い通りに運ばない。 すると、もうちょっとフツーじゃない自信のある部分を出してみる。今度は「スゴイでしょ?」ぐらいの気持ちを込めるのだ。 それでも期待通りの反応が無いとなれば、この段階までの心のコストとリターンの想定などまったく忘れて、興味をもたれるのにどれほどの心のコストがかかろうと、とにかく興味をもたれるようにしてみたくなる。 初歩的な恋愛の気分だか、単なる狩猟本能だかしらないが、とにかくそんなモードに突入すると「俺は何がすごいんだ!」などと懐の中のスゴイを探してみる。 スゴイにまだ残りがあると思うから探すわけだが、そもそも探すとなる頃には、多くの場合スゴイがもう無いことが多い。 で、無いことに気がついたとき、自分のスゴサの限界に気がつく。つまり自分はスゴクないと思う。 それに気がついたとき、おそらく僕以外の人間も含め、二つの結論いずれかを出すことになる。 一つは、「ちきしょー、悔しいぜ!」 そしてもう一つは「しかたねぇよな」だ。 この時の僕は、前者の結論を出した。 そして、悶々としていたとき、ある人に言った。 「俺、悔しいんだよね・・・云々かんぬん」 僕がしばらく彼女のことや、彼女の兄のことや、彼女に対する思いなどを説明し終えた頃、その人は、一言だけ言った。 「悔しいと思うのなら、お前はそちら側の人間だ。心配することは無い。」と。 この時から、僕は「いずれ」スゴイを手に入れられる人間だという選民主義だか、単なる自信過剰だかわからないが、そんな気持ちが始まったというわけである。 だから、本物ではないと思うのは、本物になりたいと思っているからなのだろう。 と、本物ではないと思っていることに、安心したりもしているわけだ。 さてここで重要なのは、年月が経ち、経験が増え、武器が増え、しかし一方で生きている時間の残りがそれまでより少なくなってきたことによって、現実的に手に入れることができると考えるスゴイが増えているのか、それとも、元から狙っていたはずのスゴイをあきらめることが多くなったのかである。 僕は、ある部分のスゴイをあきらめたり興味が無くなったり、また別のスゴイを手に入れようと変化している感じがする。おそらくスゴイという単純でわかりやすいことより、本物といった、万人がすぐに承知するわけではないことへの思いが強くなっていると思う。 たとえば、イチローの成功を見る。 多くの人が「スゴイ」と思う。 僕は、そのスゴサを生み出した彼の方法を探ろうとしている。 スゴイを手に入れるのは、やはりそれを手に入れる方法が本物である必要がある。 板倉雄一郎 2003年12月2日



エッセイカテゴリ

スタートミーアップインデックス