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SMU 第57号「日本経済新聞・社説」

「日本経済新聞」には、毎日大変お世話になっている。
とはいっても、残念ながら書かれている情報の大部分は、いまやこの新聞でなくとも手に入る。
もっと言ってしまえば、新聞よりネットで手に入れたほうが遥かに早いし、同じ事柄に関するニュースを時系列で見たりすることもネットの方が遥かに容易である。
特に時差のある米国の経済状況などは、新聞の場合およそ一日遅れてしまう。いやいや時差が無い日本の状況も、たとえば株式市況に関して、夕刊には当日の前場の情報までしか掲載されない。大引けの情報については翌朝刊までお預けだ。
ところがそれでもこの新聞を頼りにする理由は、「表現者の視点」にある。
同じ数字の変化、同じ声明、同じ事件であっても、誰がどのように理解するのか、評価するのかという点にもっとも価値を感じるというわけである。
だから日本経済新聞を毎日読むわけだが、ひとつ気に入らないところがある。それは同紙の「社説」だ。

「表現者の視点」を最もよくあらわすのが社説である。
日本経済新聞の場合、2ページ目の右上にその社説が来る。
ところがだ、この社説、誰が書いているか知らないが、はっきり言って「何の価値も無い」。
日本経済新聞の読者なら、同じ感想を持っている人はおそらく相当いるのではないかと思うほど、僕独自の感覚ではないと予想する。
たとえば、直近2004年6月5日(土曜日)の社説には、「OPECは原油実質増産を」との見出しで、最近最も懸念される原油相場についての提言が書かれている。
内容は、これまでの情報をまとめるための文章がおよそ8割。で最後の方に提言として「実質増産による適正水準への回帰」などと書かれている。
あたりまえだ。
原油先物相場で儲けているやつらと、ごく一部の産業以外の大部分の人間にとって、至極当たり前のことだ。社説でわざわざ書くことでもない。

その前段には「年金改革抜本改革進めよ」だと。
これも当たり前だ。
どれもこれも、これまでの誰でも知っている経緯と当たり前の提言。
「あんたに言われなくたって」という内容ばかり。というより「お父さんのための今週のまとめ」であって「提言」では全然無い。
株価や主要指標などは、いまどき新聞で確認する人なんて多くない。新聞で確認する人なんて、そもそもそれらに対して少なくとも直接的には蚊帳の外の人ばかりだ。
だから、「表現者の視点」に独自性とか、はっと気がつくような価値が無ければ、毎月5000円もの購読料を支払う必要が無くなる。それを象徴するのが社説の無価値さなのだ。

たとえば、原油に関して言うならば、どう考えても長期では原油が不足することなど見えている。中国やインドなど莫大な人口を抱える国の経済発展の中で、原油が余るなんてことは考えられない。ものの値段は需給のバランスで決まる。だからこれから先安くなるトレンドなんてあるわけない。(短期では乱高下するだろうけど)最も重要なことは、この提言どおりOPECが増産したときに何が起こるかってことだ。もし現在の生産設備の100%まで増産したら大変なことになる。「もうこれ以上、現在の設備では増産できません」となるわけで、その状態で中国やインドなど新興国の需要が増えること交えて考えたらどうなる?
サラ金の宣伝ではないが「どうするぅ?、油ちゃぁ?ん」と。
急騰どころの話じゃなくなるわけで、その辺を書かなきゃ価値が無い。
だから、石油代替エネルギーの開発を推し進めなければならないという主張が、もっとも重要なわけで、その先には、石油代替エネルギー関連株が上昇するというわけであって、その辺を書いてもらわないと全くもって価値が無い。
だけど、この辺は全く書いてない。
読者もこの社説を目当てにしている人などいないのだろう。だから社説に対して批判も無ければ、社説の無価値化が進んでも、購読者が減ることも無い。よって、社説はいつまでも無価値のままだ。
そろそろ気がついてほしいと思うのです。この社説の担当の方。読まれてませんよ。

2004年6月8日 板倉雄一郎
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