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SMU 第80号「起業という手段」

SMU第79号(つまり前号)に対するコメントをいただきました。
実は、このような内容のコメントや読者からのメール、非常に多いのです。
なので、ここでちょっと僕の考えを皆様にお知らせておこうと思います。

つまり「起業」とは、人にとって、また僕にとってなんであるか?
この点についてです。

先に結論を申し上げますと。

「起業」(や、それに付随するビジネスモデルの発案や技術の発明など)は、金儲けの「一手段」であるということです。

「金儲け」と書くと、どういうわけか我々日本人の多くは、(実は大好きなくせに)否定的になりがちです。自分の金儲けは大好きでも、人の金儲け主義は大嫌いという具合ですね。

もっと、嫌味っぽく言えば、金儲けができない人に限って「金儲けなんて、大した価値が無い」とか「あいつは、金だけが目的だ」などと言って非難するものです。

もっともっと嫌味っぽく言えば、例えば彼女や奥さんが、お金のことを口走ると「お前は金だけか!」などと言ったりします。そういう人に限って、金儲けが下手な人です。

たっくさんのお金を稼いでいる人が、彼女に対して「お前は金だけか」とか「金儲けなんて、それ自体は価値を生まない」とか言うなら、説得力もあるし、価値のある発言だと思うんですけどね。

確かに起業という手段には、金だけではなく、夢やロマンが付きまといます。それらが無ければ、リスクを背負って起業などできないわけです。これは否定しません。

しかし現実を考えてみると、起業には金が必要です。最近では一円起業などという制度を作って、それのおかげで起業が増えているなどと「馬鹿もいい加減にしろ」と言ってやりたくなる人も居ます(そもそも1,000万円無ければ起業できないのがおかしかったわけであって、一円で起業できるようにしたからそれでOKということではないですよね)が、一円で起業したら、すぐに潰れてしまいますよ。つまり自分の金であれ、他人の金であれ、借金であれ、金が無ければ事業はできません。事業とは経済活動ですから、当たり前です。

ここで問題なのは、たとえ自分の金であれ、その企業にお金を出すという行為を厳密に、かつ現実的に表現すれば「他の投資や運用に比べて、期待するリターンが大きいから」ということになります。そうでなければ(そう見えなければ)誰も金を出しません。これも当たり前です。

一方で、起業家自身の夢やロマンについて考えてみても、金を集め、その金を自身の事業で運用して、何らかのリターン(キャピタルゲインでも、インカムゲインでも)があって初めて、夢やロマンの実現が可能になるわけです。

「日本を変える」でも「すべての人がインターネット」でも「心に残る結婚式」でも「企業規模に左右されない商品販売」でも、とにかくその夢やロマンがどんなものであっても、最終的に投資家や起業家自身の経済的なリターンがあって始めて価値が生まれるわけです。

ちょっとしつこかったですね。

で、僕の場合は、どうなっているんだということですが、これまた結論から言えば、ゲームソフト開発でも、インターネット広告事業でも、それらは常に金儲けの手段として、他の投資に比べて利回りが良いと思っていたからやっていたわけです。他人に金を投資するより、自分の発想や行動力、能力に基づく事業の方が、はるかにリターンが大きいと思っていたから、自分の金と時間と能力を最大限に提供し、そこに他人の金も入れていただいたというわけです。
もちろん金だけではなく「事業欲」、「発明欲」なるものは、確かにありました。しかし、それらはあくまで金儲けの栄養に過ぎなかったわけです。

結果はご存知のとおり「社長失格」です。
しかし「社長失格」というタイトルを自ら付けておきながら、倒産後しばらくは、「社長失格」を受け入れられないで居ました。
どこかの誰か(知人の場合が多いわけですが)が、IPOを果たしたとか、どこかの誰かが僕の発明を上手にお金に換えたとかの情報を見聞きするたびに、悔しかったわけです。
「あいつにはできた。俺にはできなかった」と。

倒産してからの僕は、常に以上のような悶々とした気持ちを背負っていました。
確かにベンチャーキャピタルの経営者であり、それなりに実績もあります(まだ、利益は確定していません)が、両足を「投資家」という立場に置く「踏ん切り」がつかないでいたというわけです。
(79号へのコメントで、読者の方から「投資家をめざして」という表現がありますが、ベンチャーキャピタルを4年もやっているわけですから、僕はプロであって、目指しているというのは、当社の投資家に対して大変失礼なので、ここでお断りしておきますね)

ところが、気がついたら、僕は(たいした規模ではありませんが)投資家という立場を受け入れ、この立場での自分の能力の優位性に気がついたのです。
きっかけは昨年の離婚でした。
僕は離婚してから、倒産時と同様、実家の船橋に戻り、多くの自由な時間を手に入れました。結婚している間には、多くの時間を共にできなかった2匹の犬と再び一緒に暮らし、季節を感じ、そして読書に浸りました。つまりインプットの時間を大切にしたのです。
そこである人物に出会いました。まだそれがどんな人物であるかはお教えできませんが、その人に出会い、その人の考え、行動、実績をつぶさに研究する過程で、僕は「社長失格」を自然と受け入れ、同時に「社長失格」の呪縛から逃れることができました。
「あいつにはできた。俺にはできなかった」という感情は、気がついたら「あいつ賢いな、どれどれ・なるほど・じゃあ投資しよう」と変わってきたわけです。

ちょっとおちゃめな話ですが、思い起こせば20歳の頃に見た映画『ウォール街』が、僕の起業の原点でした。つまり最初から投資家になりたかったのです。(ただし、ゴードン・ゲッコーのような「投機家」になるつもりは、100%ありません)

その後、ハイパーネットのナスダック上場が現実味を帯びた頃から、当時の副社長だった筒井雄一朗氏(現・システム開発会社社長)や夏野剛氏(現・NTTドコモ iモード企画部長)らに、経営を譲り、僕はハイパーネットの上場益を元手にベンチャーキャピタルを始めようと画策していたぐらいです。

つまり最初から、僕にとって事業は、投資家として活動するための資金作りの手段だったわけです。事業の失敗により、当初予定していた運用額には、はるかに届かないわけですが、僕は、自分の夢の実現に向けた線路に、今の自分が居ることに気がつき、感慨無量です。

運用額は小さくても、努力と能力と、そして多少の運が味方すれば、それこそ投資活動ですから、複利でどんどん大きくすることができるわけです。努力も能力も運も無ければ、たとえ大きな運用額でも、あっという間になくなってしまいますからね。運用額より投資利回りの勝負ということです。

「経営者として失敗したのに、どうして投資家として成功できるのか」などと、また合理的根拠の無いお考えをお持ちの方も居るかもしれませんが、僕はこう考えています。
経営は、人を動かす。投資は、金を動かす。

この点が大きな違いです。要するに僕は人を動かすのが苦手なのです。
プレゼンテーションが得意ですから、最初は人をひきつけるのが上手です。しかし、僕には性格的な問題があって「こいつわかってねぇ~なぁ~」と思うと、それがすぐに顔に出てしまうのです。20歳の起業当時からビジネスの先輩諸氏からよく言われたものです。
「板倉君は、馬鹿なやつを相手にすると、顔に「バ・カ」って出るからねぇ」と(笑)
本人は、そんなつもりは無いのですが、どうやらそういうことらしいです。
その上(人を動かすこと以外の)様々なことを割りと器用にこなします。だから、自分よりできない人に仕事をしてもらうと、イライラがたまってしまうのです。

つまり、他人が僕に魅力を感じて、僕の事業に参加しても、僕は彼らを幸せにできないというわけです。それがまさに「社長失格」というわけです。

おそらく僕は、再婚はしません。今回の離婚は、僕が彼女に対して不満を持ったことが原因ですが、結果として彼女を不幸にしたことに変わりは無いわけです。女性を幸せにできる自信が無ければ結婚はできません。

全く同じ理由で、他の投資家や従業員、取引先、得意先を幸せにできる自信が無ければ、どれほどすばらしい(=金になりそうな)ビジネスモデルを発案したとしても、起業はできません。

もちろん、いつか僕に以上の部分の自信が復活するかもしれません。その場合はこの限りではありません。

つまりまとめると、人が何か行動を起こすとき、巻き込む誰かを幸せにできる自信が無ければ、行動を起こしてはならないし、そもそも行動を起こす気にならないというわけです。

投資家としての未来がどうなるのかは、もちろん続けてみなければわかりません。ただ、今は自分の能力を最も効率よく換金でき、かつ自分が満足できる仕事であるということです。

長々と失礼いたしました。

2004年7月2日 板倉雄一郎

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