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SMU 第3号「怖さの危うさ~日本の911」

風邪がなかなか治りません。

それでも、渡米中に4Kgも増えてしまった 体重は、ほぼ2日に一度の「スパ然」活動で、何とか2Kgオーバーまで回復いたしました。

一方仕事はというと、当社(=ベンチャーマトリックス) の第一号ファンドが残り少なくなったので、この9月より第2号ファンドの 調達に入り、連載原稿も予定以上にたくさん書いて、夏の間引き合いが 少なかった講演の依頼も増え、いよいよ秋から仕事に本腰が入りそうで ございます。

「忙しい」というのは、それが効果的に目標に近づく手段だったり、確実 に収入に結びつくといういくつかの条件を満たせば、麻薬のように個人 を高揚させる感じがします。

夏休みからのギャップなのか、充電の成果 なのか、その辺のところはよくわかりませんが、一つの仕事の成果が、 別の仕事へ「成果を得る癖」を誘導し、どんどん高まっていくような気配は 、成果自体より、「プロセスの楽しさ」を得られます。

明日のために今日を消費するような生き方は、仮に適当に定めた目標に 近づいていたとしても、その日に得るものが少ない。そして仮に目標に到 達しても、その果実を味わえるのはほんの一瞬。だから、日々のプロセス を楽しむことを心がけておりますです。はい。

それでは、今週のエッセイ・・・というよりワンシーンだけどね。

心についても、体と同様、そのサインを注意深く観察することが必要だと思い ます。体の場合、それと直結された脳が体の情報を分析し、不足しているも のや多すぎるものなどを特定し、健在意識にレポートした結果として「~が食 べたい」があるように、精神についても、脳が集めた様々な内部情報、外部情報が有機的に処理され、健在意識に働きかけるのではないかということです。

「やりたくない」は、「今は、動かないほうが良いですよぉ?」という判断の現われなのかもしれないし、「落ち着かない」は、「解決しなければならない 何かを忘れていますぅ?」ってな警告かもしれないということです。

「あなたの心に耳を傾けてみましょう」ってことになるわけです。

ただし、これ が通用するのは、体も心も、そこに健康的なベースがあってのことです。なる べく動かず、好きなときに好きなものを食べ、好きなときに寝る・・・それ自体 が目的であった場合には、以上のような態度は、最悪の結果を迎えることに なるからね。

とまぁ、いろいろ理由はありますが、僕が連載をお休みしていた直接的な理由 もありました。7月下旬からはワンワンサービスのため、八ヶ岳は「ワンワンパ ラダイス」。

8月上旬からは新婚旅行ということで2週間ほど渡米。ロスアンゼル スで友人と合流⇒ラスベガスではショーとカジノ⇒ニューヨークにて本場のミュ ージカルをはしご⇒サンフランシスコの景観を楽しみ⇒帰国という段取りだったのですが、ラスベガス滞在中に風邪をこじらせ、急遽帰国。
その後2週間ほど 風邪との格闘をしていたというわけです。

「なんだよ、結局遊び疲れでかけなかっただけじゃないかぁ~」といわれても、仕方ないわけなので、最初に薀蓄を並べてみたというわけです。へへ。
と前置きが長くなりましたが、今週からエッセイ書いていきますね。よろしく。


<第3号>「怖さ」の危うさ?日本の911

「米国同時多発テロ」の話題でテレビ番組が独占された9月11日も終わり 、日本と時差のある米国の慰霊祭報道が中心となった9月12日夜。僕は カミサンと一緒に部屋で過ごしていた。

彼女は居間でテレビをつけながらソ ファーでファッション誌に目を通し、僕は居間から5Mほど離れたデスクで期 限切れの原稿を書いていた。誰も集中して観ていない音量が絞られたテレ ビからは、何処かの局のバラエティー番組が流されていた。

新しく始めた結婚生活をじっくり噛み締めるのも程ほどに、次の仕事に意欲 を燃やす僕と、頼れる相手を手に入れ、多分それ以外に根拠の無い安心を 得た彼女は、暑さもだいぶおさまってきた9月風を楽しみながら、一つの空 間でそれぞれの時間を楽しんでいた。

完成した原稿のワードファイルを添付したメールを編集者に送り、マイクロソ フトマネーの「売り掛け資産」に原稿料を記載した僕は、仕事の一単位を消 化した満足感と共に、居間へ行き、彼女の隣に座った。

「なにやってるの?」 僕は、雑誌に夢中な彼女の興味を取り返そうとして彼女に話しかけた。

「あのね、この○×△※×?」
彼女はどうやら洋服のことだか、エステのことだか、なんだかよくわからない が、ファッション誌に載っている何処かの商品に興味があることを独り言のよ うに僕に伝えた。

「ふぅ?ん」僕は適当に答えた。
こんなときは、彼女との会話は適当に流してテレビでも見ることにしよう。そ んなつもりで僕はテレビのリモコンを手に取り、地上波とBSのザッピングを はじめた。NHKのBSだったと思う。

何かの映画だろうか、画面全体青味が かった特別な演出のその作品にちょっとだけ興味を持った僕は、それまで絞 られていたテレビの音量を聞くのに十分なほどまで上げてみた。何の映画だ かもわからない、画面に知った俳優が出ているわけではない。

夏場の定番 ホラー映画なのか、それともヨーロッパの奇才監督が起こした文学作品なの か、奇妙で不気味なBGMと、映画「アイズ・ワイド・シャッド」の仮面舞踏会に 出てくるような俳優のメイクが青基調の画面に集約されたそれは、内容を知ら なくとも、ちょっと「怖い」、そんな感じを誰しもが抱くようなシーンだった。

「ねぇ、ちょっと怖いよぉ?」
雑誌に集中していたはずの彼女は、その映画の音と映像にこんな反応をした。
「えっ?」怖いもの観たさという好奇心に弱い僕は、彼女の反応に意外性を感じた。

「別のチャンネルに回してよ」雑誌に夢中だった彼女にとって、その映画の音や映像がかもし出す「恐さ」は僕とは正反対に居心地が悪かったのだろう。

僕はリモコンを手にとって、再びザッピングを始めた何局か適当にまわし、僕は ある映像でリモコンのチャンネルボタンから手を離した。

その映像は、多分この一年で世界的にもっとも有名なシーンとなった、WTCにB767が衝突炎上するシーン。

そしてその後のビルの崩壊とアフガニスタンでの死傷者に周辺の 住民が集まり、おそらく犠牲者の家族と思われる女性が泣き崩れる映像だった。 多分1,2分だろうか、もう何度も流されたはずのその映像を観ていたとき、僕はふと彼女の方に目をやった。

彼女は、居心地の悪さから解放されたような様 子で、再び雑誌に目をやっていた。
その姿に、突如不思議な感覚を覚えた。

一体どちらが怖いことなのか?

人間は入力された情報に対する感情をいちいち論理的に整理して表すわけではない。

その瞬間、一番刺激を感じることに神経が素直に反応するのが感情だろう。

ましてやそのときの彼女は、別の何かに興味を持ち集中していたのだから、テレビの映像や音に対して、いちいち論理的に考えて反応するはずも無い。

僕自身も911関連の映像を事件から1年経った今、「怖さ」のリアリティーをいち いち感じていないのも事実だ。

「怖さ」を目的に作られた映像や音より、現実に起こった大量殺人の映像や音 のほうが、ややもすると心を平穏に保つ・・・もし仮に、過去に起こった911以外 に、この日とまったく同じ状況があり、僕がまわしたチャンネルで始めて911の 映像を観たとしよう。

この場合、僕も彼女もお互い別々な場所で1年前に受けた衝撃を受けることは疑う余地も無い。だから、繰り返し放映されたことによって、 映像の新鮮さが失われたことが衝撃を受けなくなった理由としては有効だとい える。しかし、「怖さ」を目的に作られた映像や音に、背筋が冷えるほどリアリテ ィーのある「怖さ」を感じる僕らは、果たして1年前、本当に作り物から得られる以 上の論理思考の無いダイレクトな「怖さ」を、あの映像から受け取っていただろうか?

全世界にライブ映像を届けることができる技術、そして経済力に依存しない個人 メディアとしてのインターネットを手に入れた僕たちは、残念ながら、極めて神秘 的ではあるが極めてローテクの僕たちの感覚を、それらに適応させるには至っていないようだ。

政治や経済のように、直ちに自らに幸不幸をもたらす出来事なら、それを感覚として直ちに認識できないこともわからないでもない。

しかし911が示 すものは、直ちに自らの生命に影響を与える出来事なのだ。

僕たちは、自らの生 命の安全に対して最も敏感に反応すべき機能として脳が保有する「怖さ」という感 覚が、技術の前に機能不全を起こしているのではないだろうか。そしてそれが一 番の「怖さ」として認識すべきことではないだろうか。

2002年9月13日 板倉雄一郎





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