板倉雄一郎事務所 Yuichiro ITAKURA OFFICE

企業価値評価・経済・金融の仕組み・株式投資を分かりやすく解説。理解を促進するためのDVDや書籍も取り扱う板倉雄一郎事務所Webサイト

feed  RSS   feed  Atom
ホーム >  エッセイ >  スタートミーアップ  > SMU 第34号「犬の教育、人の教育」

SMU 第34号「犬の教育、人の教育」

僕があまりにも犬を大切にしているものだから、これまたアサハカな人はこう言う。
「板倉さんに子供が出来たら、猫(犬?)かわいがりするんでしょうね」と。
冗談じゃない。
そんなことありあえない。

犬に対しては、飼い主はすべての責任を負っている。
その責任とは、いわゆる「管理」なのである。
子供にじゃれて、怪我させてはならないし、無駄吠え(はするんだけど)はなるべくさせてはいけないし、
右に行っては行けないところは、左に引かなければ成らない。
そして、愛情も注がなければ成らない。

ところが人間の場合、全く違う(と思う)。
なぜなら、人間の子供の場合、死ぬまで「管理」し続ける事は不可能だし、
そもそも、子供の生は、基本的にその子供の権利にあたる。
だから、子供に対しては管理する必要の無い様に「教育」をしなければならない。

さて、教育とは一体なんだ? ということになる。
世の親御さんのほとんどは、この教育と管理を履き違えている。
それだけなら、その子供がかわいそうなだけだが、管理がぜんぜんできていない。
(いや、犬と違って100%の管理なんて、そもそも不可能だ)
教育とは、経験させることであって、「ああしろこうしろ」と指示するものではないのだ。
たとえば、お小遣いを与えた親は、決まってこんなつまらない事を言う。
「ちゃんと、貯金しなさいよ、無駄遣いしないで」と。
全く、何の教育にもなっていない。単なる結果が出ないHowTOだ。
僕にもし、子供が居たらどうするか?
小遣いを与えて「これはお前の金だから、好きなことに使え」だ。
そして、子供が何か買ってきたときに、こう問うてやる。
「そうか、お前は、これを買ってきたんだな。でもな、この金があったなら、あっちも買えたんじゃないか? 使ってしまったらもう買う事は出来ないけど」と。
つまり、経験を与えてやるんだ。
出来れば、「失敗したなぁ」と思わせるような経験をさせてやるのだ。(突然「バカボンのパパ」なのだ)

親が子にする教育とはすなわち、
「親が、尻拭いを出来る範囲での失敗をさせる機会を与える」ということと、
「失敗を分析させるきっかけを与える」ことなのだ。

そういう意味では、訓練と横並びを主な目的とした(としか考えられない)現在の学校教育は、全く宛にならない。
そもそも、自分の子供さえまっとうに教育できない人間が、学校で教わっただけの手段で教育をしているんだからしかたがない。
これは、いつも言っている事だが、経営の経験の無い学者が、経営学なるものを教えているのに等しい。
もっと言えば、AVを1000本観たという童貞君が「体位」なるものを教えるのに等しい。

なぁ?んて、僕は経験主義なのに、やったこと無い事を言及しちゃったりして。
でもね、あながちやったこと無いわけではないのだ。
なぜなら、この教育は、家庭に限らず企業でも必要なことだからなのだ。

これでいいのだ。
(最近、暇でパチンコ屋に行く機会が多くて、「天才バカボン2」にハマっていたりする)

2003年7月12日 板倉雄一郎





エッセイカテゴリ

スタートミーアップインデックス