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SMU 第137号「誰と誰が敵?」

昨日(11月21日)も、これまたセミナーでございました。(もお、ええちゅうねん(笑))
このところのSMUが、「宣伝ばっかじゃないかいなぁ!」という批判を知りながらも、しつこくセミナーレポートです。
昨日は、いよいよ個別企業の受講生によるバリュエーションと当事務所スタッフ(とは言っても、大手コンサルティングファームのプロですが)のバリュエーションの違いについてのセミナーとなりました。
残念ながら受講生のほとんどは、財務諸表の各項目のどれを(たとえば投下資産に、たとえば運転資金の増減に)組み入れればよいのか? という問題に突き当たってしまう人が多いようです。結果、最も重要な将来業績予測の「シナリオ」より、シート作成に多くの時間を取られてしまい(つまり細部に神経が偏り)、全体を見回すことを忘れてしまうようなのです。
確かにこのあたりは、多くの入門者が躓くところです。ですが、「えいやぁ~」でも良いから、自分なりの解釈で最後まで(つまり理論株価の算出まで)「やってみること」が大切なのです。そこまでやってみることによって、市場価格と理論株価の乖離に気がつき、大変大きな違いが生じれば、もう一度振り返って「何がいけなかったのか?」を再考する機会となり、疑問が具体化し、それをセミナーで解決するという美しいシナリオ(?)となりえるわけです。(もし、どこにも非現実的な数値が見当たらなく、かつ時価と理論株価に大きな乖離があれば、絶好の投資機会となりますが)
ちょっと語学の学習に似ていますよね。「まちがっているかもしれないから、質問できない」とか、「ある一点に不明な点があるから、先に進めない」では、結局、どこが間違っているのかさえ突き止められないというわけです。語学で言うところの「まずは、話してみる」という経験が必要なことと同じです。
確かに語学と数値では、精度の重要性については、大きな違いがありますが、チャレンジ〜失敗〜学習〜再度チャレンジを反復するのが近道という点では全く同じです。

セミナー後の懇親会では、ある受講生の「ヤフー掲示板の内容を見て、笑えるようになりましたぁ!」との感想に、妙に納得して、セミナー効果について満足している僕だったりします。

ところで本題「敵は誰?」についてです。

巷(?)では、米のオラクルによるピープルソフトの「敵対的」買収が話題となっております。
詳細については、皆さんご存知のことと思いますが、僕が最も気にかかる点は、「敵対的(米Hostile)」という言葉です。
「敵対」という以上、「誰かと誰かが敵対する」となって文章が完成するわけですが、この件の場合、一体誰と誰が敵対しているのでしょうか?
ニュースを見ながら、すんなりと「ああ敵対的買収ねぇ」と理解している方は、この辺考えてみた方がよいと思います。
しつこいようですが、「誰と誰が敵対しているのか?」という点です。
「そりゃ、オラクルとピープルが敵対しているに決まっているじゃないか、そう書いてあるじゃないか」と、のんきな人は、それでかまいませんが、このように質問されると困惑する方もいらっしゃると思います。
ピープルとは一体誰なのか?(なんかちょっと面白いフレーズですけどね(笑)) 法人のことですか? でも法人そのものに意思は無いですよね。意思が無い主体が誰か他人を「敵だ」と思ったりはしません。当たり前です。
では、ピープルの従業員が誰かを敵だと思うのでしょうか? もちろん買収後のオペレーションによって不都合が発生する従業員もいるかも知れません。ですが、企業経営において、その手法が直接、従業員の解雇や減俸を意味するなら別ですが、少なくとも買収(という言葉も、僕にはあまりしっくりこないのですが)そのものが、一時期のマネーゲームのように即座に従業員の解雇を意味するわけではありませんし、そもそも従業員の叫びが経営に影響を与えている状況ではありません。
では、ピープルの所有者であるところの株主が、誰かを敵だと思うのでしょうか? 株主は当該企業の直接の利害関係者で、且つ買収行為によって経済的な変化を受ける主体ではあります。ですが、買収そのものが彼らの経済的損失につながるかというと、必ずしもそうではありません。買収(という言葉は、あくまで会計処理や商法上の存続会社がどちらであるか、または取引の方法そのものがどちらかがどちらかを「買収」するように見えるだけです。)
もし二つの企業が合併して、経営効率が向上し、結果一株辺りの企業価値が上昇すれば、双方の株主の利益になります。世に言う(あまり効果が見えない)シナジーというやつですね。
もし、合併によって企業価値が減衰することが予測されるなら、どちらの企業の株主(=株主から選ばれた経営者)も、「それ、いやです。」となり、仮にコーポレートガバナンスがしっかり働いているとすれば、そもそもTOBしようなどとは、誰も思わないわけです。つまり株主が主体であるとすれば(いや、それ以外の主体などありえないのですが)、合併によって一株辺りの価値が増えるのか、減るのかが焦点となり、価値が減るとなれば、どちらの株主にとってもメリットはありません。ですから、この場合も「敵」かどうかという議論ではないわけです。
では、合併によって企業価値が上昇すると両企業の多くの株主が認識したとしたら問題は無くなる・・・というわけでもありません。どちらか一方の株価が実態経済価値より相当に低く見積もられているとすれば、低く見積もられている企業の株主は合併によって大損をぶっこくことになり、もう一方の株主は、支払った金額(または、株式の発行数)より多くの経済価値を手に入れることになるので、その分得をするというわけです。(つまり世に言う買収とは、買い手(とされる)企業の「何か」を失うことにより実施されるに過ぎません。)
このあたりが「敵対」という言葉の源泉のように思うかもしれませんが、もし株価が実体経済価値より低く見積もられていると当該企業の株主が認識するのなら、TOBに応じなければ良いわけですから、TOBは実現しません。(よって、多くの買収行為の場合、買収企業(の株主)は、非買収企業(の株主)に多額のプレミアムを支払うハメになるわけでが・・・)
で、最後に当該企業の利害関係者で、且つ意思を持つ主体であるところの「経営者」にたどり着きます。経営者にとっては、「買い手企業の何かを失うことによって、売り手を手に入れる」なんて、平然とその実態を把握している場合ではありません。何しろ自分の経営者としての椅子(報酬や、経営をするという醍醐味や、モノポリーゲームのプレーヤーとしての興奮など)を失うかどうかの瀬戸際というわけです。彼らの立場に身を置けば「敵対」という言葉が、以上のどの主体よりはるかに現実的に理解できると思います。つまり「敵対」という言葉は、まさにこの経営者を主体として考えた場合に生まれたと、少なくとも僕は考えます。
ですが、経営者って一体なんですか? 彼らは株主に雇われた人間です。ですから、彼らの仕事の最も重要なことは、株主価値を上昇させることです。自らの趣味や嗜好、それに欲望が株主価値を低減させることがあってはならないわけです。(が、そういうことは煩雑に行われています)
ですが、「敵対」という言葉には、本来そうした本来の仕事とは乖離した、「人間・経営者」の立場や欲望を表した言葉ではないかということで、僕には「敵対」がしっくり来ないというわけです。
果たして彼ら経営者が感じるところの「敵対」とは、株主の経済価値においても同様に敵対なのでしょうか?

今日は、こんなところで。

板倉雄一郎 2004年11月22日





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