板倉雄一郎事務所 Yuichiro ITAKURA OFFICE

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SMU 第14号「あると思われているもの」

今のところ(といっても、まだ3週目)ちゃんと金曜日中のアップが達成できております。きっとしばらくは続きます。よろしくお願いいたします。

今週のトピック・・・半年「振り」のゴルフは、割と短いコース(5,500ヤードぐらい)でも、やっと100という下手さ加減は変わらず・・・これ、僕の場合ゴルフを上手にやるためのインセンティブが無いんだよね。

スキーは20代で相当上達したけれど、そこには「スキーはお泊り」という、いわずと知れたインセンティブがあったからなのであって、ゴルフはどうもねぇ。

で、スコア的には、「グリーンに乗れば、後はおっけぇ~」みたいな感じだから、どうしてもラウンドで10打は損をしている。デモ最近仕事以外に特に打ち込むことも無いから、ゴルフでもやってみるかな。なんてちょっとだけ思っています。

恒例の写真ですが、これはお休みです。なんだか、最初だけ面白かったな。ケータイの新機能ってやつで遊ぶのは。

その後、気が付けばゲームはやらなくなった。大体、アプリを動かすと電池がすぐになくなるから、やらなくなるし、そもそも飽きる。それに、調子に乗ってアプリのダウンロードをしていると、パケット料金がどんどん増えるから、それも抑制要因になる。

カメラに至っては、写真を撮るという習慣を以前から持っていない事と、カメラを持っていることに慣れないせいか、持っている事を意識しなければ、撮ろうとしない。

そして、カメラを持っている事を意識した時は、被写体が特に無いというわけです。結局、この一週間、何も撮っていないのです。

そもそも僕にとって必要が無いもの(アプリとカメラ)をついでに手に入れたわけだから、仕方ないけれど、モノが売れるかどうかってのは、使う文化が前提になるわけで、その文化が形成されるためには、アイデアやビジネスモデルも必要だけど、時間による習慣化という十分条件がないとね。ということで、今週のエッセイです。


<第14号>あると思われているもの

世の中には、「在るかどうか」をろくに検証もせず、あると意識されているものがたくさんあると、最近思うようになった。

特にメディアの報道などを見ていると、報道内容の大前提が本当に「あるのか?」という疑問が沸いてくる。

「アメリカ合衆国にとっての(少なくとも直接的な)イラクを放っておくことの脅威」

アメリカ国民が「命」のリスクを取ってでも恐れなければならないことは、本当にあるのか?

「国民の資産およそ1,400兆円」

日本国債にその半分ぐらいが依存する国民の資産(日本という国に国籍をおく個人の資産を足し合わせたもの=本来、国のものではない)は、本当にあるのか?

「デフレで消えるはずの経済価値」

そもそも、デフレで困るのは、価値創造に怠慢な大企業や、経営者個人の雇用問題に公的な企業を利用しようとまでする金融機関経営者にとっての直接的問題であって、彼らがその対策を下請けや労働者の賃金カット、それに中小企業への貸出金利の底上げというこれまた怠慢な手段でしか実施しないから、間接的に中小企業や多くの国民の生活に不安を与えているだけで、デフレが全国民に経済的なダメージを与えるという、直接的な経済現象は、本当にあるのか?

「中華人民共和国による日朝の関係の手助け」

これまた、北朝鮮からの難民を、その後の処罰も考慮せず、さっさと北朝鮮に強制送還するような中国に、日本が期待できる調整機能など、本当にあるのか?

メディア(とそれを操作しようとする組織)による「同一化」の結果なのだろうか、以上のように、「あるか、ないか」を吟味する前に、あること認識するほうが望ましい立場にある人達がいるという前提で、さまざまな組織やメディアの中で議論が進んでいる危険性を感じざるを得ない。

メディアの普及によって、「あるか、ないか」を自分の目で確かめる事が少なくなり、自分で確かめなければ、気がすまない。しっくり来ない。腹の底に落ちないという動物的感覚が人間から奪われてきているからではないだろうか?

経済規模に依存しない情報発信のツールであるところのインターネットは、少なくとも技術的には、マスメディアの持っていない「情報発信者オリジナルの情報」を容易に手に入れることのできる数少ないメディアである。

それが国民の半数以上が利用できる状態にあっても、「自分で確かめる」という意思や欲望が無くては、何の役にも立たない。

ツールは、常に、それを使う文化と一体になって機能する。インチキ企業家の手品道具と企業間の業務効率化のツールから、文化としてインターネットが定着するには、まだまだ時間が必要なようだ。

2003年1月31日 板倉雄一郎





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