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SMU 第25号「排除したいもの」

GWはワンワンサービス一色。

広く平らな砂浜に太平洋の大きな波が押し寄せる九十九里浜で、かみさんと一緒に2匹の犬を連れてあてもなく散歩。

一旦船橋の実家へ引き返した後、翌日は「成田ゆめ牧場」というファミリー向けの牧場へ。 牛、ヤギや羊をはじめ数々の鳥類まで、ちょっとした動物園気分。愛犬を連れてどこへでも行けるし、リードをはずせる「ドッグラン」まである。

たいした大きさじゃないけれど、それなりに楽しめる。 また船橋へ引き返し、翌日はワンワンサービスを休憩して、かみさんと久々のゴルフ。スコアはまぁいつものヘタクソォでした。

つまり、休日のおとうさんをやっていたというわけです。

ところで、「社長失格の幸福論」にも、はじめから犬のことが書いてあるが、この2匹の犬たちが僕を過去の重さから救ってくれた大切な存在なのだ。

倒産前、単なるペットぐらいの気持ちで飼い始めた2匹に対して(もちろん最低限、飼い主としての義務は全うしていたつもりだったが)忙しさのあまり、彼らに目を向ける事は少なかった。 いつも車で走る道を、徒歩で歩いてみると、同じ道なのに多くの発見があるのに似た効果が、倒産後の僕と彼らの間にはあった。

長男の雄太(ゴールデンレトリーバー現在7歳半)は、アイコンタクトをしながら何か話しかけると、すぐに目をそむけてしまう。倒産前、彼のこの行動を、僕は、落ち着きのない犬の単なる癖だとばかり思っていた。 倒産後、それまでに比べて多くの私的な時間と精神的な余裕を得た僕は、彼らが何を欲していて、何を訴えているのかについて、それまでより深く観察するようになった。

僕が仕事に集中している間は、例え散歩の時間が過ぎていても、彼らはおとなしく待っている。

しかしちょいと息を抜く仕草をしようものなら、とたんに「ピーピー」騒ぎ出す。 騒いでいる彼らを落ち着かせ、アイコンタクトしながら「どうしたの?」と話しかける。すると彼は、いつものように目をそらす。 何度聞いても、同じく目をそらす。

ある日、何度か同じ事をしているとき、あることに気がついた。 「目をそらす方向が何度やっても同じだ。なんとなくそらすのではなく、ある目標に対して目の焦点をあわせているんじゃないか?」そう思って彼の視線の先を追う。

するとその視線の先には、僕が脱ぎ捨てた、いつも散歩の時に着用するジーンズがあった。 何度やってみても、彼は、このジーンズに目をやっている。

暑い夜、テレビを観ている僕に対して、それまでグーグー寝ていた彼は突如「ピーピー」と言いながら立ち上がり、舌を出し「はぁ?はぁ?」。「どうしたの?」と聞くと、彼はいつものように視線を変える。 その視線の先には、彼らの夕涼みのお気に入り場所であるベランダへの出口があった。

彼のコミュニケーションの手段に気がついた僕は、嬉しかった。
同時に、それまでの何年間かの彼との生活を後悔した。

「犬と話せる!」
ある日突然英語をネイティブスピーカーのように上手に出来たる人になったらいいなと思う事がある。 いつだったか、そんな夢を見たことがある。 その時に似た喜びを感じる瞬間だった。

それからというもの、「どうしたの?」から始まる彼と僕のコミュニケーションは日常になり、それまで気がつかなかった彼の気持ちを、喜怒哀楽のような抽象的にではなく、「外に出たい」(部屋のドアに目を向ける)、「ベランダに出たい」(ベランダへの窓に目を向ける)、「腹が減った」(犬用の食器に目を向ける)、など、かなり具体的に理解することが出来るようになった。 もちろん、その程度の事はまっとうな飼い主なら、概ね理解できるはずだ。重要なのは、視線の方向で具体的にリクエストするという彼の表現方法に気がついたことだ。

今、手元にあるモノ、今、自分を慕ってくれる者に目を向ける。
そしてそれらに対する理解を深める。
すると「自分はすばらしい環境に居る。」
そんなことに気がつき、幸せを感じられる。
金を使わなくても、多くの時間をかけなくても、誰にも理解されなくても、
幸せはその辺にいくらでも転がっているものだ。



<第25号>排除したいもの

邪魔のものは、取り払いたくなる。

邪魔さ加減がある一定の限界を超えると、労力をかけてでも取り払う。

しばらくして、また別の邪魔なものに気がつく。

限界を超えて、取り払う。

きりがない。

でも、邪魔なものを取り払う。

そして、最後に自分を取り払わなければならないことに気がつく・・・事になればまだ幸いだ。

組織でも、友人関係でも、自分自身が自分自身のある部分に対してでも、世界に対してでも。

自分の周りにある、邪魔なもの、重いもの、不愉快なもの、これらが自分を形成している部分であることを気がつく事は、少なくとも僕にとって簡単なことではなかった。 でも、それに気がついて、僕はハッピーになれた。

2003年5月9日 板倉雄一郎





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