板倉雄一郎事務所 Yuichiro ITAKURA OFFICE

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ITAKURA’s EYE 「妄想の続き」

昨日のエッセイ・ITAKURA’s EYE 「妄想ってことで」について、読者の方々からの反応が予想していた以上にありましたので、ここでフォローをしたいと思います・・・

結論:「そもそもどの国の経済も歪で政策的で、『良くもまぁ事なきを得ているよなぁ』、と思えるような状態である」

って事です。

たとえばアメリカ・・・

「米国の双子の赤字」そう言われるようになって久しいわけですが、会計単位の赤字がどれほど続き、どれほど積みあがろうが、キャッシュフローが回り続ける限り、企業も、国家も破綻することは無いわけです。
アメリカの場合、『少なくとも2008年夏までは』、米国の過剰消費によって流出したドルが、結局のところ米国債、米国不動産や米国企業への諸外国による投資によってアメリカに還流し、少なくともキャッシュフローは枯渇せずにグルグル回っていたわけで、それが永遠に続くのであれば問題にはならないわけです。
(サブプライムローンってのは、要するに米国不動産への世界からの投資に過ぎないわけですから)
もちろん現実には、問題になってしまったわけですけれど。

たとえば中国・・・

「事実上の」米ドルへのペッグ制がドル安による元安を維持し、中国にとっては頼りにならなくなった米欧などの外需を多少なりとも名目上助けていたり、莫大な額のバラマキや中央政府による半ば強制的な金融緩和によって名目上のGDP上昇の「演出」が、少なくとも現時点では、「中国は半永久的に成長するぞ!」みたいな楽観論の根源になり、且つ、「中国以外に現実的な成長市場は無い」といった排他的な理屈に裏付けられた中国投資が続いていたり・・・

たとえば日本・・・

幸いにしてJGBの保有者が広義での日本国民であるがゆえに、少なくとも対外債務ではありませんから、最後は、日本銀行が国債価格維持(=長期金利上昇抑制)のために、「事実上の政府のファイナンス」を行うことによって、インフレリスクは伴うものの「問題の先送り」を可能にするのでしょう。

(その前に日銀がやるべきは、モラトリアムに代わって、中小企業に対する債権を金融機関から買い取ることだと思いますけれど)

つまり、悲観的に表現すれば、世界のどの国の経済も「めちゃくちゃ」と言えますし、楽観的に表現すれば、「そんな無理をしながら世界は何とか混乱を避けようと努力している」とも言えるわけです。

 

読者から寄せられたコメントには・・・

「じゃあ、僕はどうすればいいの?」

といったものがほとんどでしたが、ぶっちゃけ僕らには、悲観的に表現すれば、グローバリズムの中では「逃げ場が無い」のであり、楽観的に表現すれば、「それでも相対的に金持ちになるチャンスはゴロゴロしている」ということになろうかと思います。

世界経済は、明らかに、「政治主導」になりつつあり、それは暫くの間続くのではないかと思います。
その一方で、「(政治とはかけ離れた)富裕層経済」が、たとえばオフショアといわれる「別世界」で築きあげられていくのだろうと思います。

 

安全安定を求めるならば、農地を取得し原始的な生活の基盤を作ること、もしくは、その正反対に、「カネの亡者になること」、が極端な例ですが妥当だとは思いますが、そんな極端なポジションを取れるヒトはなかなか居ないものです。
現実的には、その間のいずれかの場所で、日々リスクと戦ったり、リスクをリターンに変えたりしながら生きていくしかないのだと思います。

たとえば、「~に投資すれば絶対に大丈夫!」、などという、どんな経済環境下でも絶対安心な資産運用方法なんてありえないわけです。それは、たとえ「金(ゴールド)」であったとしても、たとえ不動産であったとしても。

 

でもね、世界経済の歴史って、どの時代も、どの国も、、、歪で、人工的で、政策的なものだったのだわけです。
そんな世界は、今に始まったことではありません。
人類は、常に、危機と背中合わせに生きてきたわけですし、これからも(もしかしたらなおいっそう)危機と仲良く生きていくしかないのだと思います。

とにかく、「絶対安全安定」なんてのは、この世には存在しないのだと思いますし、その現実を受け入れることがハッピーに近づくための必要条件なのだと思います。

逆な表現をすれば、「安全安定を求める」といった「無いモノねだり」こそ、不幸の十分条件なのだと思います。

 

2009年11月10日 板倉雄一郎

 

PS:
人生って、「自分の心地よい居場所探し」、じゃないかなぁって最近つくづく思います。
派遣村に居つく人も、一生が何回あっても使い切れないお金を稼ぐ人も、それぞれ同等に、自らの優位性を最大限利用したり、弱点を利用したりと、生きることに一生懸命なんだと思います。
要は、自分自身が納得いく「居場所」を探すことがハッピーの源泉なのだろうと思います。
人間が作った経済なんて、そもそも理屈通りに動くわけ無いですからね。

PS^2:
本文のような「もろもろ」があって、世界中がめちゃくちゃであることに世界中が気づいて、なんだかんだで、「金(ゴールド)」に資金が向いているわけですよね。
でもね、「金」って食べられないし、労力かければ電子機器などからの再生可能だし、つまり、金の価値だって人間の幻想によって作り上げられているわけです。
(とはいえ、その幻想が崩れるまで、その価格は上昇し続けるのだろうと思います。すくなくとも過去の「チューリップバブル」よりは遥かにマシだと思いますけれど(笑))

世界が金(ゴールド)に魅力を感じていること自体、世界経済がめちゃくちゃ度合いを増している証なのだろうと、僕は思います。

金が金を生むわけでもなければ、金が経済価値を「創造」するわけでもありません。
経済価値を「創造」できるのは「ヒト」以外に無いわけです。
なのに、世界の資金は、「ヒト」に向けられず、なぜだか「金」に向けられています。
これ、「生きたお金の使い方」をするのではなく、「保全」に走る「あきらめの経済」を象徴するように、僕には感じられます。

そのうちそのトレンドも変わるでしょうけれど。

 

PS^3:
最近、最もがっかりすることの一つに、「娼婦まがいの女性の増加傾向」があります。
ある意味、不景気の象徴なのだと思います。
それとも、僕が「女性に使えるお金にしか価値の無いオッサン」になったからでしょうか(笑)
特に、(僕が思うところの)魅力的なルックスの女性ほど、その傾向が強いように思います。





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