板倉雄一郎事務所 Yuichiro ITAKURA OFFICE

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ITAKURA’s EYE 「優しさのカタチ」

お金で困っている人に、お金を与えることを、優しさだと感じる人も居ると思います。
しかし、お金に困るに至った原因が、何らかの事故や災害などのような「一時的で突発的な原因」であるならわかりますが、その人の癖や知識不足に原因があった場合、お金を直接与えることを「優しさ」とは呼べないと思うわけです。

そういう場合、「優しさ」ではなく、与える側の「自己満足」に過ぎないと思います。

与えたお金で一時的に楽になるかもしれませんが、またすぐに同じ状況になる可能性が極めて高いわけですから。
ずっと世話するつもりがあるのならば話は別ですけれど。

以前、「寄付」に関するエッセイを書いたことがあります。
地震や災害などの「一時的な困難」を救うための寄付ならば、ちょっとした思い付きでやろうが、被災地の人々のことを慮った上で真剣に取り組もうが、プラスの効果があると思います。

けれど、その人の癖に基づくような継続性のある困難を抱えた人に対して、「一時的な」優しさを提供することは、その人の自立性をなおさらなくしてしまう行為に他ならないと、少なくとも僕は思います。

うまい例えが思いつかないのですが・・・

たとえば、飲食店のフロア係の人が、無愛想に料理を運んできたとします。
どれほど美味しい料理であったとしても、顧客は不満を感じるでしょう。
そしていずれ、この飲食店は閉店を余儀なくされるか、そうならないまでも儲からない状況が続く可能性が高いわけです。
で、業績不振の中で、この無愛想に料理を運ぶフロア係は首になります。
で、言うわけです、「企業に優しさが無い」と。

優しさが無いのは、当の本人じゃないでしょうかね。
その方が求めているのは、「優しさ」という言葉に包んだ、「お金」に過ぎないと思います。

社会保障制度が極めて高水準で実施されている北欧のケースを持ち出して、「雇用の保証がちゃんとされている」と訴える方がたくさん居ます。
こういった意見は、北欧の社会保障制度が実施する「与える部分」だけを見ているに過ぎません。
与えるために、税率は極めて高いですし、「ここが重要なのですが」、与えられる側もいずれ与える側になるべく努力しています。
訓練をしたり、学習したり、つまりは、仕事のスキルを磨いているわけです。
少なくとも、与えられながらマン喫でゴロゴロしているわけではありません。
だからこそ、与える側も、「しかたねぇなぁ~」と与えているわけではありませんし、与えられる側も、「社会が優しさを提供してくれるのだから、自分ももっとがんばろう」となって、高度な社会保障制度が実現しているわけです。

「制度」や「ルール」ではなく、人と人の「与え与えられる関係」が高度な社会保障を実現するための基礎なのだと思います。

要は簡単なことです。
がんばってる人。努力している人。そんな人には、社会も優しさを提供するものだと思います。
けれど、自らが社会に対して何を提供すべきかなど全く考えず、ただ「くれくれ!」言っている人が社会からの優しさを求めるなんて、「イイカゲンにしろ!」といいたくなります。

そんな自己都合ばかりを優先させる人が、この不景気によって目立ってきていると感じます。

JFKが大統領就任演説で名言を残しました・・・

「国が自分達に何をしてくれるかではなく、自分達が国に何ができるかを考えて欲しい」

オバマ大統領も同じような意味の言葉を発していました。

「国」とは、政府のことではありません。
これ良くごちゃ混ぜに扱われていますが、「国」とは私達一人ひとりの集合です。
したがって、「国」に何かを求めるということは、「私達」が何を提供できるのかと同義です。

All for Myself そんな人がどんどん増えているように思います。
One for All and All for One そうでなければ、社会保障も経済も成り立たないわけです。
社会のために何ができるか?!・・・それを考え実行することが本当の優しさじゃないでしょうか。
少なくとも、「優しさくれぇ~」と叫ぶために、「優しさ」とか「情」とかいう言葉があるわけじゃないと思いますけどね。

全員が「くれくれ」言ったとしましょう・・・その場合、誰が与えるんですか?

2009年2月16日 板倉雄一郎

PS:
「わたしぃ~、お食事ならリッツのフレンチがいいなぁ」
と最初のデートからリクエストばかりの、「くれくれ女」の外見は、確かにそこそこ綺麗で、その上、モデルだとかの「一応のタイトル」を持って居たりします。
もちろん、本物のモデル業ではなく、数回それらしき仕事をしたことがあるという程度の場合がほとんどですが。

そんな彼女達のことを、夜遊び友達と話していた結論は・・・

「物乞いと発想が一緒だよね」

でした(笑)
物乞いは、みすぼらしいルックスが、
くれくれ女は、ゴージャスなルックスが、
他人から何かを奪うための道具。
与えられ続け、与えることを学ばなかった人の末路です。

PS^2:
医療制度は、社会保障の一つです。
この国の医療制度は、他の先進国と比べ、「極めて」手厚い。
場合によっては、行き過ぎと感じることもあるほどです。

この国の社会保障制度は、そんなに悪く無いんですよ。
もちろん、問題はたくさんありますし、いつまで継続できるかわからないですけどね。





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