板倉雄一郎事務所 Yuichiro ITAKURA OFFICE

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ITAKURA’s EYE 「逆張りの構え」

ある経済系雑誌の特集に、「インフレ時代の投資(のような内容の)」記事がありました。
コモディティー、株式、債券、不動産など、投資対象をカテゴリーに分け、インフレに対して強いか弱いかといったことを、リスクの大小と共に説明した記事でした。

結論は、(現在の世界的インフレが、資源高によるコストプッシュ型であることを前提に)コモディティーに対する投信などへの投資が、リスクは高いがインフレに強い、といったことでした。
また、「変動利付き国債」などの債権への投資が、インフレを吸収できるしリスクも小さいと説明されていました。

確かに、間違ってはいない、と思います。

しかし、こういった「順張り発想」が、結果的に資源高を招き、世界中の消費者の不都合を招いていることを忘れてはならないと思います。

資源高によるコストプッシュ型インフレになる⇒
そのインフレ率分を吸収するために資源に対して投資する⇒
益々資源高を招く⇒
行き過ぎれば(もう行き過ぎかもしれないが)ババ抜き合戦になる⇒
(長期的には資源は価格上昇トレンドだが)短期的に暴落する可能性が高まる⇒
今から資源に投資する人は、更なる資源高に貢献するだけではなく、ババを掴む可能性が高まる。

というスパイラルを生み出しているわけです。

「渋滞を作っているのは自分自身」

先日のエッセイ、ITAKURASTYLE 「順張りの功罪」でも表現したことですが、世界中のお金が価格上昇中の投資対象を追いかける「順張り」は、その投資対象のバブルを生み出し、そして近い将来崩壊します。

いつの時代も、ババを引いていたと後で気がつくのは、メディアに踊らされた一般の個人投資家です。

今こそ、「逆張り」アイデアを思い出すべきだと思います。
なにも、「世界の正義のため!」などといっているわけではありません。あくまで投資家自身のリターンのためにそう思うわけです。

現在の資源高の原因について、ある人は「投機マネーのせいだ」と言い、また別の人は「実需によるものだ」と主張します。
そもそも、「投機マネー」の定義が曖昧な状態で、どちらのせいだなどと、少なくとも僕は言及できませんが、「他に(お金の)行き場所が無いから、資源へ向かっている」のは明らかなことだと思います。(その意味では、投機マネーのせいなのかもしれません)

日本だけではなく、世界中の漁業が、燃油価格上昇によって、操業できない状態です。
つまり、「価格転嫁できない」わけです。
さて、それでも原油価格は、「実需によって」今後も高騰し続けると言うのでしょうか。
僕には、さっぱり理解できません。
(もちろん、長期的には、豊かな生活をしようとする人が増加する傾向にあるわけですから、資源価格は上昇トレンドだと思います・・・たとえば原油価格が、1バレル30ドルなんて時代には戻らないと思います。)

話は変わりますが、現在の世界的な資源高⇒コストプッシュ型インフレ⇒景気減速という「経済的に」芳しくない状態は、一方で、最も効果的な「地球温暖化対策」になっているわけですから、悪いことばかりだとは思いません。
(地球温暖化の真の原因がなんであるか、僕には調査のしようがありませんが、その原因が何であれ、資源を効率よく利用することは無条件に「良いことだ」と思います。)

先進国においては、そもそも無駄に資源を消費している部分が節約されるでしょうし、新興国においては、未熟な技術によるエネルギーロスを改善するきっかけにもなるでしょう。

今、世界地図は、大きく塗り替えられようとしていると思います。
悲観的に捉えることもできますが、様々なチャンスに満ち溢れているとも言えます。

2008年7月16日 板倉雄一郎

PS:「博打はようできん」
「逆張りの構え」はいいのですが、「構え」だけだと情報を集め分析するだけで、実際の投資活動にはぜんぜん至らないので、ちょいと「投機」をしてみたくなったりします。
先月(2008年6月)の時点で、日経225、7月限、13500円、プットオプションを買おうと思いましたが、結局手を出しませんでした。
買っていたら、結構儲かっていたわけですが、各国の政策動向が市場価格に大きなインパクトを与える現在の状態で価格変動を予測する投機は、やはり博打の要素が高く、どうしても最後のクリックができないというわけです。
まっ、それでいいかな、と無理をしないようにしています。

 

PS^2:「管理釣り場」
というわけで、この数ヶ月、「今が遊ぶチャンス!」と、夜な夜な「お食事会」に出かけているわけですが、先日のお食事会では、男性陣のほとんどが珍しく40代でした。
30代男性が中心のお食事会の場合、「上品に振舞えば果実を手に入れられるだろう」といった構えを男性陣から感じるのですが、この場合、お食事会の場が「管理釣り場(笑)」と化しているように思います。
(とはいえ、僕自身も30代のお食事会を自ら経験したからこそ今があるわけですから、30代の男性が、30代の遊び方をしていることを否定するつもりは「全く」ありません。)
この30代の姿勢、いわば「順張り」ですね。

そんな30代男性が中心のお食事会に比べ、「下手に上品ぶらない」40代メンツとのお食事会は、なんだか楽しかったのでした。
なんというか、「上品ぶって、核心に触れないことが女性にモテルというわけではない」ことを、その経験からよく承知しているわけです。
つまり女性に媚をうるような姿勢ではないわけです。
この40代の姿勢、いわば「逆張り」ですね。

思えば、「懲りないくん」時代の合コンパイレーツは、今はもう40代。
40代で、「まだ」、遊んでいる男性友人は、極めて貴重だと思わせてくれました。
もちろん、彼らは、ただ遊んでいる「だけ」の男ではなく、しっかり仕事をこなしながら、(妻子ある場合には、しっかり家庭を守りながら)、余裕の範囲でスマートに遊んでいるからこそ、魅力的なのだと思います。
一言で表現すれば、40代で生き残っている遊び人は、「粋」です。

40代男性同士の会話の中身も、30代の場合とは一味違います。
30代男性の場合、どういうわけか、「金の話」が多いと感じます・・・
「だれがいくら儲けた」とか、「この人は年収○○○○円」だとか。
一方、40代の場合、「仕事のスタイル」だとか、「人の分析」だとか、それなりに「お金」を掴んだ年代だけあって、お金を超えた部分での話が多いのです。

今、オーバーフォーティーの男性が、アンダーサーティー(特に25歳以下)の女性にモテル傾向があります。
僕自身も、それをはっきり認識できます(←自分で言うなアホ!)
その理由が、最近良くわかります。

で、気がつきました。僕は、女性との出会い「だけ」を求めてお食事会に出かけているのではない。
実は、お食事会の本当の楽しみは、そこで出会う「男性陣」にあるんだなと。
だからこそ、しつこく出かけていくんだな、と。
(僕は、モーホーではありませんのであしからず)

えっ?「実績」ですか?

たいしたこと無いですよ。安心してください(笑)

 

PS^3:「数じゃない」
恋愛の数、や、期間、を質問される機会が多いです。
もちろん、そんなヤボな質問には答えません。
一つ一つの恋愛に真剣に向き合い密度の濃い恋愛をしている場合なら、たとえ数が多くても、たとえ期間が短くても、恋愛における成熟度は高まりますし、たとえ数が少なくても、たとえ期間が長くても、一つ一つの恋愛にイイカゲンに向き合っていれば、恋愛の成熟度は高まりません。
数や期間じゃなにも語れないですよね。
明らかなことは、男は女に磨かれ、女は男に磨かれるということ。
大切なことは、「どんな相手とどんな恋愛をするか」に尽きると思います。

「女は、一人の男性にすべてを求め、男は、すべての女性を求める」

そんな遺伝子に規定されながらも、人間は、「恋愛」という文化を継続しているのですから、面白いです。

きっと、50代になれば、50代なりの恋愛が見えてくるように思います。
それはそれで楽しみです。





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