豊田章男トヨタ自動車社長が米公聴会で証言をしました。
一連の「トヨタ問題」のニュースを見ていて(←今の僕はトヨタの顧客でも株主でも取引先でも従業員でも債権者でも無いので見てるだけなのですけれど)、様々なバイアスを感じます・・・
トヨタの競合企業であるところのGMのオーナーが(公聴会を主催する)米国政府であったり、
米国でのトヨタによる雇用が万人という単位であったり、
トヨタの取引先に多数の米国企業があったり、
トヨタの株主の1/4が外国人であったり、
トヨタの顧客が全世界(特に米国)に及んでいたりすることによるバイアスです。
ですから、報道されることをそのまま鵜呑みにしたくは無いのですが、90年代からトヨタが作るモノに変化を感じ、それまでトヨタ大好きだった僕も、昨年の春にランドクルーザー100を売却してから、トヨタ離れをしています。
現在のトヨタは、クルマではなく、お金を作っている。
それを顧客として感じ取り、僕のトヨタ離れは起ったのだと思います。
個々の企業は、お金を作らなければならないけれど、お金を作る前に、モノやサービスを社会に提供する義務を果たすからこそ、存続の価値が生まれるのだと思います。
それはたとえ金融機関であったとしても、そのファーストプライオリティーは、顧客に対するサービスであるべきだと思います。
その結果として、市場占有率や利益が生まれる・・・そうあるべきだと思います。
ここ90年代以降のトヨタは、それを忘れてしまい・・・
「トヨタのクルマ」 = 「トヨタの利益のための道具」
そんなつまらない企業になってしまったのではないでしょうか。
トヨタ問題を通じ、すべての日本企業は、企業の存在意義について、立ち止まって考えてみる良い機会になるのではないでしょうか。
2010年2月26日 板倉雄一郎
PS:
それにしても現在の車は、電子制御の塊ですよね。
僕の持っているメルセデスにおいては、スロットル制御がバイワイヤー(←機械的リンクによるのではなく、ドライバーの操作をセンサーによって電気信号化し、コンピュータによって制御されたアクチュエーターによってスロットルが動かされる仕組み)であるばかりではなく、ブレーキまでもがバイワイヤー方式ですし、ABC(アクティブ・ボディー・コントロール)という油圧制御サスペンションは、車高調整からアンチロール、アンチダイブ、アンチスクオウト制御とクルマの挙動のすべてについて電子制御化されていますから、もはやクルマというよりテレビゲームに近いのではないかとさえ思います。
その上、サスペンション制御も、ブレーキ制御も、その油圧の元はすべてパワーステアリングの油圧ですから、これが壊れるともはやクルマとして機能しないという代物です。
最初は、「ブレーキまでもが機械的リンクじゃないなんて怖い!」、と拒否反応もありましたが、「慣れ」っていうのは怖いもので、今ではそんな怖さを感じることはありません。
一顧客がそうなのですから、企業全体が、電子制御や部品共有化を通じ、「お金ファースト」に慣れてしまうことは、しかたないのだろうと思いますが・・・
「俺達が社会に提供しているモノってなんだっけ?」
と、常に存在意義を確認することって、とても大切なことなのだと、今回のトヨタ問題を通じて感じました。