板倉雄一郎事務所 Yuichiro ITAKURA OFFICE

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ITAKURA’s EYE 「カモが必要なのかも」

日銭が入ればその場で使ってしまう。
中には、生活補助を受けた足で、そのままトンずらしてパチンコに向かう人も居る(笑)
資産運用なんてこれっぽっちも知識も経験も無く、それどころか貯蓄に関してもまるで関心が無い方々。
ちょいと入りが多ければ、ちょいと贅沢な食事や遊びで消費し、入りが無ければネットカフェでも、場合によっては路上でもOKな方々。

僕は、(そこまで極端な方々をターゲットにしていたたわけではありませんが)、ファイナンスに関する知識が満遍なく行き渡ることによって、バブルが抑えられ、深刻な不景気に陥ることを防ぎ、安定した経済圏が維持できる、などと考え活動してきましたが、昨年中にそれが大いに間違いであったことに気がつきました。

そういったファイナンスなんてまるで無縁な方々こそ、「入れば使う」わけですから、バラマキ効果がしっかりある方々なわけですよね。

たとえば、ソフトバンクの業績が好調なようですが、「もっているモノといえば仕事の連絡を受けるためのケータイだけ」といった上記の属性の方々のケータイは、恐らく、ARPU(←端末あたりの収入)が最も低い(=つまり利用者の支払が最も少ないはずの)ソフトバンクモバイルだと思うわけです。
(↑ 違っているかもしれません。あくまで推測ですし、実測は不可能ですから。もしかしたらSMAP人気で女性が増えている効果のほうが多いのかも知れません。)

その日暮らし、または、その予備軍・・・彼らは、恐らく、安定した(ように見える)仕事にありついても、せいぜい「その月暮らし」になるだけで、常に消費性向100%を維持してくれるように思うわけです。

だって彼らの場合は、

「お金が無いから貯蓄や計画が無い」のではなく、

「貯蓄や計画をしようとしないからお金が無い」わけですからね。

 

子供手当てやっても、極貧家庭で無い限り、消費に回らず貯蓄に回る可能性が高い。
金融緩和やっても、お金の必要の無い企業や個人(←つまり財務状況の良いところ)にしかお金が回らず、投機資金となり川上インフレを起こし、川下デフレの間に居る企業が損するだけ。

だったら、ドカチン公共事業(ただし前エッセイで書いたように夢のある公共事業)によって、その日暮らしの方々のその日暮らしが継続できるようにすることは、下手な机上の経済波及効果なんて考えるより遥かに実効性が高いのではないでしょうか。

 

このところ、どういうわけか、千葉県船橋市の実家近所のお宅が、やれ駐車場のリニューアルだ、家の壁の塗りなおしだ、貸し駐車場のアパート化と、昼間はうるさくてむかつくのですが、そのたびに、

「あの工事やっている人たちって、あれがあるから食べられるんだな」

と、つくづく思います。

そんなことから、ドカチン公共事業って、ダイレクトに消費に結びつくし、少なくとも(パチンコなどの博打を除き)投機資金となって世界を混乱させるわけでも無いし、考えようによっては、結構重要な構成要素だと思うようになったわけです。

 

先日のあるミーティングにて、ある方から、「カモが居るからこそ事業が継続できるという考え方もある」という意見がありました。
もちろん僕は、これまでのいずれの事業においても、カモ探しどころか、「利害関係者すべてが納得のいく事業」を少なくとも前提にビジネスモデルをデザインしてきたつもりです。
(残念ながら、結果としてそうならなかった事業もありましたが)
この意見を聞いて、「なるほどなぁ」とつくづく思います。

たとえば、「占い事業」・・・

これ、明らかに占いに飛びつく顧客が「カモ」なのですが、肯定的に考えれば、占いを100%信じているわけではなくても、今日一日の「何らかの指針が欲しい」という方にとって観れば、その占い結果に根拠など無くても、それなりの価値があるわけですよね。
(とはいえ、ハマってしまって、占い結果に翻弄される本物のカモも多数実在しますが)

たとえば、「コストダウンを得意とする企業」・・・

これ、明らかに従業員や取引先が「カモ」なのですが、肯定的に考えれば、その企業に属することによる優越感とかあるのでしょうから、いただけるお金が少なくてもそれなりに意味があると考えることもできるわけですよね。
(というかそんなの幻想なんですけれどね)

つまり、犯罪で無い限り、カモって、カモがそれなりに納得していれば、ありなのかなと思うようになったわけです。

「夢のあるドカチン公共事業」・・・今、この国に足りないのは、将来に対する夢や希望じゃないですかね。

 

なぁ~んて、言うだけなら簡単ですよね。

 

2010年1月28日 板倉雄一郎





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