『金(ゴールド)を通して世界を読む』豊島逸夫著(日本経済新聞社)を読みました。
この本、金取引の仕組み、通貨の意味、金を基軸にした世界経済の歴史などなど、文字通り金を通じたマクロ経済の分析において非常に役に立つ内容でした。
が!
この本全体に通じる金本位制「的」な観点と分析に、根本的な疑問を感じる部分がありました。
「金の裏づけのない米ドルの価値は、ひょうとして人間の『思い込み』で成り立っているのではないかと感じる」
(同書「はじめに」より)
このフレーズに、この本のベースとなる考え方が如実に現れているのではないかと感じましたが、同時に・・・
「金(ゴールド)の価値だって人々の思い込みじゃないか」
と感じたのは僕だけではないと思います。
確かに紙幣は物質として紙切れに過ぎませんし、人為的にその供給量をふやすことができますから、ダイリューション(=希薄化)の恐れもあります。
一方の金は物質であり、人為的に「製造(・・・合成という意)」はできません。
しかし、その金需要のほとんどは、宝飾品。
やはり金といえども、その経済価値を担保するのは「人々の思い込み」に過ぎないと思うわけです。
金は、それ自体が金(お金、または、ゴールド)を生み出すわけではありませんし、
金は、それ自体を食べることもできませんし、
金は、私達が生活するうえで、どうしても必要な物質というわけでは、(電子機器など一部の需要を除き)、ありませんから。
もちろん、「金なんて投資すべき対象ではない」、といいたいのではありませんし、「金には経済価値が無い」、といいたいのでもありません。
金に限らず、そもそも、
「あらゆる経済価値の『大部分は』人々の思い込みによるものである」
といいたいわけです。
先が読めない時代、人々は、「どんなことがあろうとも経済価値が下落しない投資対象」を探す傾向が強くなります。
本日の日本経済新聞の記事にも、「個人マネー社債へ動く」という見出しの記事がありました。
株式投資(イクイティー投資)に比べ、リターンが保証されているがリスクの少ない社債への投資(デット投資)へ個人投資家の需要がシフトしているという内容です。
(本題からそれますが、ちょいと整理を・・・
株主は、企業の利害関係者の中で、その収益の配分において最も劣後した立場であり、且つ、最も権限のある立場です。(←不思議な言い方ですけれど)
たとえば、株主は、「今日限りで会社を解散する」という権限も持っていますが、そんな決定をしたところで、企業内部にあるキャッシュの配分の優先順位は、税、労働債権、一般債権、有利子負債・・ときて最後の残りかすが株主への配分となるわけです。)
人々がリスクを恐れ、「リターンが少なくてもいいから、現在の経済価値を失いたくない!」と、「比較的」安全な資産への経済価値の移転が進んでいるというわけです。
表現を変えれば、
「人々の思い込みによる要素が少ない経済価値への投資対象のシフト」
ということになろうかと思います。
その気持ち、わからなくも無い。
では、経済価値に占める「人々の思い込み」が最も少ない「モノ」ってなんでしょうか?
いわずもがな、「水」、と、「食糧」ですよね。
もっと具体的に表現すれば、それらを生産できる土地や技術、そして労働力ということになろうかと思います。
原油がなければ多くの企業は倒産してしまうでしょうけれど、それが直ちに人間の死に至るわけではありませんし、金に至っては、無くたって生きていけます。
(もちろん、金は電子機器に必要ですが、それらは再生可能です。)
でも、水と食糧が無かったら、人はどんなにメタボにエネルギーを蓄えていたとしても、一ヶ月もすれば死んでしまうわけです。
紙幣も信用できない。
企業も信用できない。
政府も信用できない。
もしそんな時があるとしても、金持ってたってしょうがないじゃないですか(笑)
食えないもんね。
えっ? 極端すぎる内容ですって?
確かに、「食糧危機」になったとしても、食糧価格が上昇するわけですから、やはり、「カネだぜ」ということになり、各国の通貨が信用ならない現在において、経済価値を増やす/または減らさない「一つの方法」として金(ゴールド)への投資も排除すべきではないと思います。
けれど、マクロ視点で見た場合、食糧自給率の極めて低い日本の場合、もし世界的な食糧危機(←それは中国次第で非現実的な予測とはいえないわけですが)になれば、これまでせっせと働き溜め込んできた日本の経済価値は、食糧輸入によって、円安を伴い、瞬く間に失われてしまうこと間違いないでしょう。
話飛びますが・・・
憲法第25条に、
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」
とあります。
その実現に欠かせないのは「食い物」じゃないでしょうか。
いくら「権利」が保障されていても、食い物が国家全体で不足したら、権利なんて何の意味も無いですから。
参考エッセイ:
ITAKURA’s EYE 「ヴィジョン提案・自給率アップ」
ITAKURA’s EYE 「経常黒字があってこその内需拡大」
そういえば、
「農地の貸借を原則的に自由化する農地法の改正案が、衆院本会議で可決された。」
(2009年5月11日付け日本経済新聞社説より)
です。
この社説の後半にも記述があるとおり、既得権益や利権絡みの農政改革は簡単ではないでしょう。
だからこそ、「ちまちま一ずつ」やっていくのではなく、上記の参考エッセイで述べたように、自給率アップを「国家ヴィジョン」として、広く国民の世論を巻き込んで実行することが必要なのだと思います。
にも記したとおり、経済環境の変化をチャンスと捉え、今こそ「農業ベンチャー」やるべきじゃないでしょうか。
そんなベンチャーあったら、なんらかしらお手伝いしたいと思います。
ちなみに、「自給率アップ」と叫んでいる対象は、食糧だけではありません。
電力(←原子力発電が有力でしょう)、
エネルギー(←メタンハイドレート開発、海外の利権獲得、再生など)
資源(←リサイクルは当たり前ですが、そのコストを国策として、それこそ「バラ撒く」必要があるのだと思います。
世界経済に翻弄され続ける日本経済を変える為に。
2009年5月11日 板倉雄一郎
PS:
ゴールデンウィークは、16日間の長期休暇とさせていただきました。
僕の場合は、なんだかあんまり気持ちの良いゴールデンウィークではありませんでした。
例によって、「くれくれ人間」に遭遇し、
例によって、「くれくれ人間」との決別でトラぶり、
例によって、「何がいけないのだろう?」と考え、悶々とする日々でした。
(要するに、僕ではなく、僕のお金にしか興味の無い女性ってことですよ(笑))
でもね。その原因が良くわかったという成果もありました。
自分の状態を良好に保つ努力を怠った自分に原因がある。
なんてことはない、「めんどくせーからカネで解決しちゃおう」と、心のどこかで思っていたりすると、それが「匂い」となって放出されて、「お金ほすぃー」って人が集まってくるってわけです。
あーあ。
自分の状態が健康的になるまでのしばらくの間、女性関係はお休みしようと思う次第です(笑)