先日、NHKのスペシャル番組(「NHKスペシャル」ではなかったと記憶しています)が放映されていました。
マスメディアとネットの「どっちの料理ショー」みたいな内容を、「朝まで生テレビ!」のようなスタイルで生放送されていました。
「ネットかマスメディア(←テレビや新聞など)か!?」なんていう話は、どうでもいいことであって、要は「メディアが何であれ、どんなコンテンツなの?」が重要なのは言うまでもありませんし、
コンテンツが重要である前提であれば、ネットは、「資本力に左右されないメディア」として、過去に何度も書いてきた、「ネットとは」というエッセイに僕の意見は集約されていますし、
ブログやTwitter、そしてネット専属ニュースサイトなど、その後の現象の根源は、同エッセイで表現したことの現われです。
だから、ネットかマスメディアかという視点での議論に価値を見出すことは出来ないのですが、
「発行部数や閲覧数が巨大なメディア」、と、「そうでないメディア」
の比較は面白いし、役に立つと思うのです。
もちろん、マスメディアは、その名の通り前者の場合が多いですし、ネットは後者の場合が多いですが、個別のコンテンツの訴求力を比較すれば、逆の場合もたくさんあります。
誰もが知っている情報を、自分だけが知らないことは、否定的要因になりますから、情報欠如によるダウンサイドを防ぐためには、巨大メディアの情報に触れていたほうが良いのですが、
巨大なメディアの場合、そこに記載されている情報は、自分を含め大勢の人が知っている情報ですから、その情報を持つことの優位性・・・つまり、その情報によるアップサイドを得ることは難しい場合が多いわけです。
したがって、「情報の価値」という側面で見て、どちらの方が価値が高い「場合が多い」かというと、それは明らかに「そうでないメディア」の方に軍配が上がると思います。
しかし同時に、「そうでないメディア」の場合、そこに記載されている情報の即時性や信頼性が保証されない場合も多いです。
以上をまとめると・・・
「巨大メディア」・・・情報欠如によるダウンサイドを防ぐメディア(≒アップサイドは期待できない)
「そうでないメディア」・・・情報のアップサイドリスクもダウンサイドリスクも高いメディア
ということになろうかと思います。
どちらにもネットはあり、どちらにもネット以外のメディアもありますが、ネットが巨大メディアの情報まで吸収している現在、「どっちの料理ショー」の結論は、「ネットの勝ち!」に決まっています。
以上は、情報の需要サイドから見た一つの分類ですが、情報の供給サイドから見た場合は・・・
「巨大メディア」・・・影響力が大きい
「そうでないメディア」・・・コンテンツに価値が無ければ影響力が小さい
ということになろうかと思います。
と、どうでもいい出だしでしたが、以下が重要なことです・・・
「重要な情報が巨大メディアで提供されない場合が多い」
たとえば、トヨタ問題の場合、米国では、それこそ巨大メディアがずいぶんと前(←日本の巨大メディアが報道するずいぶん前)から、盛んに報道されていたのに、日本の巨大メディアは暫く報道していなかったこと。
たとえば、ヨーロッパやオフショアを中心に、ネットカジノが(それこそFXなんかより)大盛況で、巨額の資金が動いていること。
たとえば・・・キリがありませんのでやめます。
つまり、日本の巨大メディアが伝える情報には、現実の世界経済の重要な事柄が扱われていない場合が「増えた」と思います。
したがって、冒頭で書いた、「巨大メディアに触れることが情報欠如によるダウンサイドを防ぐ」という巨大メディアの価値が、極めて小さくなっていると思うわけです。
「新聞やテレビのニュースを見ているから、アップサイドのチャンスは得られないが、ダウンサイドに陥ることはない」
という次元から、
「新聞やテレビでは、アップサイドのチャンスが得られないどころか、ダウンサイドに陥る可能性がある」
という次元に変化しているのだと思います。
中国では、中国共産党による「情報統制」が強化されています。
そんな国は絶対に嫌だ!と思いますが、彼らの場合、彼ら自身の市場規模が年々大きくなっている側面から考えれば、仮に中国が情報的に閉鎖されガラパゴス化しても、実は全体としては僕らが想像するよりマシなのかも知れません。
アメリカが、ガラパゴス化したとしても、アメリカ自身の市場規模が大きいですから、ガラパゴス化の弊害は、中国同様、たいした問題ではないのかもしれません。
ガラパゴス化したときに、最も深刻な状態に陥るのは、他でもないこの国ではないでしょうか。
なのに、産業も、情報も、益々ガラパゴス化が進んでいるように思います。
これ、国家財政より、人口減少より、重大な問題だと僕は思います。
2010年3月25日 板倉雄一郎
PS:
その昔、ある大物政治家が、「地下鉄東西線」の開通を内々に知り(・・・というか自らが計画に携わり)、経路に当たる地域の不動産を買占め、たんまり稼いだという歴史があります。
今、その大物政治家を崇拝している現在の大物政治家は、自らの政治資金管理団体を通じて米軍のなんとか基地の周囲の土地を買いあさっていると噂されます。
こういった場合、「どんなメディアを通じて、どんな情報を得るか」ということより、「価値ある情報を自ら生み出す」ということが、最もトップエンドで価値があり、次に、その情報に「人脈」という「そうでないメディア」の典型を通じて群がる人にアップサイドの価値があり、最後に「巨大メディア」によって伝えられ、情報の価値が失われるという典型だと思います。
我々は、目覚めなければならない、と最近つくづく思います。
なんだか新興宗教っぽい言い回しになってしまいましたが(笑)
そろそろ、すべての新聞の購読をやめよっかな!って思います。
(↑ 「まだ新聞なんて購読してたの!」なんて言わないでください(笑)・・・近所の販売店にも労働者が居るのですから。)