板倉雄一郎事務所 Yuichiro ITAKURA OFFICE

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ITAKURA’s EYE 「さっさと次に行きたいですよね。」

菅新総理による参議院選挙に向けた民主党マニフェストが発表されました。
詳しい内容は、各メディアに譲るとして、概略は・・・

税制など制度改革は・・・
消費税↑
法人税↓
所得税↑
社会保障費→↑
新規国債発行額→↓

加えて戦略的には・・・
社会保障分野での雇用増
アジア向けサービス輸出
インフラ整備(という名のハコモノ投資)
など。

旧自民党政権時代や民主党鳩山内閣時代に対し、「目新しさは特にない」といった否定的意見がありますが、「目新しさがない」≒「だれがやっても同じ」≒「それをやらないと次に進めない」、ということになろうかと思います。
つまり、政治的判断(というか選挙対策)によって先送りされてきた「目新しくない政策」を、「実現できるか否か」こそ、政治につける点数を計る根拠なのだろうと思います。

企業経営であれば、「企業価値の最大化」という視点で評価するように、政治による政策を評価する上で、「一体何が今の政治におけるミッションなのか」≒「解決しなければならない問題はなにか」が明確でないところでは、政策の評価はできません。
その点において、僕は、「将来に対する国民の不安の払拭」、が今のこの国にとって最も重要なことだと思います。

少子高齢化&人口減少による需要不足、将来の不安から高い貯蓄率、資産の高齢者への偏り、
企業の海外進出の加速、進出どころか海外への本社移転の加速、
財政危機、将来の社会保障に対する不安、
そして期待はずれの政権交代、
・・・将来のダウンサイドリスクの塊です。

人は、一般的に、将来に対するリスク(←不確実性)が高いと感じれば感じるほど、足元の消費を減らし、かつ、将来のへの投資を抑制します・・・つまり経済が停滞します。
一方、将来に対するリスクが低いと感じれば、投資や消費が伸びるのかといえば、そうでもありません。
極端な例ですが、1年後に世界が滅びるといった「リスクの低い状態(=ダウンサイドが確定している状態)」では、消費は最大化しますが、投資は抑制されるでしょう。

したがって、経済成長のためには、
「ダウンサイドリスクが限定的で、かつ、適度なアップサイドリスクが存在する状態」
が望ましいのだと思います。
(それが無理なら少なくとも、
「ダウンサイドリスクもあるが、アップサイドリスクも存在する状態」
が望ましいと思います。)

たとえれば、「戦後の日本」は、まさにこのような状態だったからこそ、現在の世界的企業の多くが、この時期に誕生したと言えなくはないと思いますし、成長著しい世界的企業のいくつかを抱える現在の韓国の場合も、90年代後半の同国の経済危機が結果として、「これ以上のダウンサイドは考えにくい状態」を作ったからではないかと推測します。

つまり、「放って置けば(=いつまでも「目新しくない政策」さえ実現できなければ)、いずれ崩壊すると予測するのであれば、今のうちに、ドラスティックな政策を実現すべき」、と僕は思います。

リスクの高い政策を実現し、不幸にも大失敗したとしても、その結果は、上記のような「これ以上のダウンサイドはない状態」によるその後の成長が見込めると思うからです。
だって、しつこいようですが、放って置けばいずれ日本経済は崩壊するでしょうから。

産業育成や経済対策も「中途半端」。
制度改革も「中途半端」。
社会保障改革も「中途半端」。
とにかく全部中途半端なこの国に必要なのは、ドラスティックな政策の実現じゃないでしょうか。

2008年の通貨危機以来、経済成長に乗っている「と、少なくとも現時点では判断できる」中国や米国の場合、経済対策も産業育成も、日本のそれと比べ「早く、大きく」実現されました。
それらの政策に、近い将来の過度のインフレなどのダウンサイドリスクが無いとはいえませんが、すくなくとも、人々がアップサイドリスクを認識する効果はあると思います。

「早く何かやってよ! さもなければ、何もしないでよ!」

それが支持政党に関わらず、国民の声ではないでしょうか。

2010年6月18日 板倉雄一郎


PS:
このところ免停のせいか「駅前」を歩く機会が増えました^^
すると、書店にも足を運ぶことになります。
お金関係の雑誌や書籍で目に付くのは、「FX」ばっかり。
これこそ、「将来に対する不安」の表れだと僕は思います。
なぜなら、FXは短期的なお金を生み出すための合法賭博・・・というのは言い過ぎかもしれませんが、少なくとも、将来の成長や利益のために今のキャッシュを差し出すといった投資活動では絶対にないからです。
(だから、いけないことだ!と主張したいのではありません。)
将来に対するアップサイドリスクを、みなが感じなくなっている現われが、蔓延する個人によるFXなのだろうと思います。

そういえば、投資銀行に勤めるプロの為替トレーダーが面白いことを言っていました・・・

「最近、○○さんのブログや情報が、個人FXにとっての神様的存在らしいけど、あいつ、うちの銀行で為替トレードやってたんだよね・・・成績悪くてやめたんだけど」

「為替のブログ見ると笑えるんだよね。あんな方法で稼げるわけないのに」

だって^^


PS^2:
昨日は免停講習第2日目。
あと10分で終わりだぁ~~~~!と帰る仕度を始めたころ、講師の口から予測もしなかった言葉が・・・

「それでは最後にCDをお聞きいただきます。」

タイトルは、「償い」(さだまさし)。
講義室には、さだまさし独特の暗ぁ~くさびしい感じの曲が流れ始めました。
交通事故の加害者になった人を描写する歌詞が延々と続きます。
交通違反→交通事故防止を目的に、免許更新時や免停講習でよく流される事故映像映画と同じポジショニングの行為なのですが、歌詞の冒頭は・・・

「月末になると、ゆうちゃんは、薄い給料袋の封も切らずに・・・」

と、交通事故の加害者の名前として「ゆうちゃん」ときました。
思わず、周囲を見回してしまった僕です。

「ぼっ、僕のことですかぁ?」

さだまさし独特のサビは、繰り返しフレーズで、1番のサビが、「ありがたくて、ありがたくて、ありがたくて」、2番のサビが、「とまらなくて、とまらなくて、とまらなくて」。
さだまさしは熱唱していました。
僕は、どういうわけか、恥ずかしくてたまらなくて、たまらなくて、たまらなくて(X○X)

車を運転する以上、可能性が無いわけではないですが、僕はここへ、事故の加害者としてきたのではないのですけれど・・・





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