板倉雄一郎事務所 Yuichiro ITAKURA OFFICE

企業価値評価・経済・金融の仕組み・株式投資を分かりやすく解説。理解を促進するためのDVDや書籍も取り扱う板倉雄一郎事務所Webサイト

feed  RSS   feed  Atom
ホーム >  エッセイ >  ITAKURA's EYE  > ITAKURA’s EYE(最終回)「14年振りの本業復帰」

ITAKURA’s EYE(最終回)「14年振りの本業復帰」

ある革新的アイデアを思いついたとき、同じようなアイデアを同じ時に思いつく人は、恐らく世界に1万人は居る。

アイデアを思いついた人の中で・・・

大部分は、アイデアを思いついた事だけに満足し、その可能性に気が付かない。

内1000人は、ブログやSNSを通じてアイデアをシェアし、少々の賞賛に満足する。

内100人ぐらいはアイデアを事業化する可能性を探る。

内30人ぐらいは、具現化にたどり着くが、多くはアイデアに起因しない原因で失敗する。

残った10人ぐらいが成功の島に取り付くが、小銭程度で当初の夢を売り払う。

最後に3人ぐらいが成功の島を手に入れる。


成功の島を手に入れた3人とそれ以外の決定的違いは、


事業を遂行しようとする起業家の【意思】の違いに他ならない。

 

僕はハイパーネットの倒産以降、様々な(自分が思うところの)革新的な事業アイデアを思いついてきた。

しかし、実現できた革新的アイデアは一つもない上に、革新的アイデアを思いついた数年後、何処かの誰かがそれを実現し、成功を収めるのを端で見ているだけだった。

 

Googleのアドワーズ・・・これはハイパーシステムの特許を見れば自明。

SNS・・・どの企業とは言わないが、僕が2000年にSNSについて講演した事からアイデアを得て起業し成功した起業家も居る。

ここから先は、言わないでおく^^

 

誠に残念な事に、僕が思いつく革新的アイデアを実現するには、僕独りでは無理だから、どうしても周囲の協力が必要になる。

そして、どの革新的アイデアも、アイデアを思いついた時点では、周囲の誰も理解してくれなかった。

この14年間、実現できた事は、少なくとも僕の中では割と平凡なアイデアだけだった。

少なくともハイパーネットで実現したような革新さ、規模、は実現できなかった。

 

けどね、今は違う。

僕の革新的アイデアを理解できる天才連中が周囲に居る。

さらに、それをネット上で実現する技術を持つ仲間が複数居る。

その上、世界のネット環境は、そのチャンスを増大させている。

 

振り返れば、この14年間は、以上の「環境を待つ事」、そして、「互いに尊敬し合える仲間を創る事」のための期間だったのではないかと思う。

 

僕は、2011年3月11日を境に、いくつもの重要な事に気が付いた・・・

 

1、知識や経験、そして湧き出るアイデアにレバレッジをかけていなかった事。

 

知識や経験を、そのままテキストで吐き出しているうちは、レバレッジが効いたとしてもせいぜい「コピーライツ(著作権による印税)」の範囲に過ぎない。

最近であれば、良くて電子書籍や有料メルマガの範囲でしかない。

しかし、知識や経験、そしてアイデアを、一旦「事業に落とし込む」という選択をすれば、最大限のレバレッジが効く。

勿論、その分のリスク(アップサイドも、ダウンサイドも)発生するが、そこはそれこそ知識と経験をフルに生かし「ダウンサイド限定&アップサイド(理論的に)無限大」のビジネスモデルを構築すればいい事だ。

 

2、偉そうな事ばかり呟くだけで「実績」が無い事。

 

世には起業などしたこともなく、起業家でもないのに「起業家論」を表現する人さえ居る。

僕は、こういった方々を「アダルトビデオを1000本観て机上の研究を積み上げた童貞君」と揶揄しているが、下手すると僕自身がそうなっているのではないかという危機感を感じた。

これを僕自身が顕著に感じたのは、2010年秋から2011年初頭まで板倉雄一郎事務所の活動として行った「起業塾」。

起業塾のセミナーでは、僕が思うところの起業論をスピーチするものの、どこか自信が無い。スピーチに魂が籠らない。

あっ、そっか! 自分が起業してないからだな。

起業塾を実行して、初めてその事に気が付いたという情けない事態を招いた。

 

3、このままじゃ人生がつまらない。

 

金儲けだけなら、少々身に付いた金融とファイナンス理論のおかげで、お金を転がしていれば、少なくとも生活はできる。

ブラックスワンがいつも出てくる昨今であれば、機を見計らったオプション取引によって「ダウンサイド限定&アップサイド無限大」のモデルは維持できる。

しかし、人生がつまらない。

信頼でき、尊敬できるチームで事業に勤しむ「あの感動と興奮」は、お金を転がすだけ、生活費に困らないだけ、では得られない。

何しろ、僕には、どういうわけか、水道の蛇口をひねったかのように次々に事業アイデアが浮かび上がる。

それを「リスクを取って」実現しないで、一体何のための人生なのだ!

 

以上のような事に震災後の鬱状態の中で気が付いたとたん、いきなりエンジンがかかり、しかもレッドゾーンまで振り切れんばかりになったというわけです。

 

すると、不思議な事に、僕の夢を実現するために必要な人材が、特に声を上げているわけでもないのに、集まってくる。

それも、この上なく才能があり、信頼でき、そして尊敬できる者ばかりが集まってくる。

10年来の友人だが、これまで一度も仕事上の関係を持った事が無い人が「たまたま」僕が実現しようとする事業の中核技術の「ど真ん中」の人間であったり。

僕が思いつく、ソーシャルネットアイデアをPCやスマホ上で「ホイホイ」創ってしまう若き天才エンジニアであったり。

僕が構想する「ネットとは何か」を、僕が伝えるまでもなく、既にブログなどで発表している、これまた若き天才であったり。

(とまれ、これ以上書くとまずい(笑))

 

まあ要するに「チャンス到来」なのである。

 

勿論、そうは言っても、事業は「やってみなければ分からない」。

そして、最後まで事業を遂行する「意思」を継続できなければ、せっかく僕に何らかの価値を見いだしてくれて集まったチームに迷惑と損害を与えかねない。

けれど、だからこそ「やる意味」があるのだと思う。

 

ハイパーネットの倒産から早14年、振り返れば、以上のような「環境づくり」「環境待ち」のための時間だったのだと、今改めて思う。

 

さあ「本業」に復帰だ。

僕は、根っからの「起業家」。

思い起こせば小学生の頃から、自分の小遣いは自分のアイデアを「小事業」として実現して稼いできた。

あと3年で50だ。

そろそろ「小事業でお小遣い稼ぎ」は、卒業しなくちゃ^^


「・・・人生はやがて確かに終わると感じた。

 言葉の前に走り出す、いつも遠くを見ている。

 いいわけしていないか、怒りを忘れていないか。

 弱いから立ち向かえる。悲しいから優しくなれる・・・

 誰のものでも、だれのためでもない、かけがえの無い、この僕の人生。」

 words by Kazumasa Oda.「風の坂道」より。

 

2011年7月31日 板倉雄一郎





エッセイカテゴリ

ITAKURA's EYEインデックス