たとえば、オーナー経営者による中小企業の場合、その事業リスクは、オーナー経営者が抱えていることは明らかです。
保有する株式の価値についても、有利子負債の保証についても、取引先や従業員に対する債務についても、とにかくあらゆる事業リスクをオーナー経営者は抱えています。
大多数の株主によって構成される上場企業の場合、上記のオーナー経営者による経営に比べれば、株式の流動性が高いがゆえに、リスクの所在は多少不明確になりますが、やはり「株主全体」がリスクを抱えていることは明らかであり、また、一人ひとりの株主も、「自分がこの会社の株式を保有している」という明確なリスク認識を持っています。
このように、事業リスクを、「誰が抱えているのか」、が客観的に明確であり、且つ、リスクを抱える「個々の人間」が、その認識を十分に持っている場合、事業を監視する作用(・・・いわゆるコーポレートガバナンス)が働き、企業価値の最大化に繋がります。
今、世界では、「金融システム安定化」や、「実体経済悪化の阻止」などの名目によって、個別企業の事業リスクを、個人から「その国全体」へ移転させることが加速しています。
公的資金の支援を受けた企業の行方について、有権者、納税者が、「この企業のリスクは、自分が一部負担している」といった認識を持つでしょうか。
この日本でも、個別企業への政府や日銀による「直接・間接の支援」が進められています。
金融「全体」に関しては、明らかに、「すべての産業や個人の経済活動に関わるインフラである」、という価値がありますから、ある程度「国全体」で支える必要はあるでしょう。
しかしながら、その個別企業の「裾野」がどれほど広かったとしても、それがインフラであるわけではありませんから、そのリスクを「国全体へ移転させること」は避けるべきだと僕は思いますが、そんなモラルの側面からの否定だけではなく、最も重要なこととして、「事業リスクの所在が不明確になる」、ということが挙げられると思うわけです。
「その事業のリスクは、一体誰が抱えているんだ!?」
「リスクを抱えている人間は、そのリスクに気づいているのか?」
リスクの所在が不明確な企業、事業は、益々増加傾向にあります。
言うまでも無く、「誰がどれほどのリスクを抱えているのかさっぱりわからない」ということが、そもそも2008年金融ショックの元凶だったのではないでしょうか。
つまり、世界は金融ショック以前と根本的に変わっていない、どころか、「リスクの不明確化」という視点では、むしろ悪化しているといえます。
「お上が何とかしてくれる」
そんな利害関係者ばかりで構成される事業が、売れる商品を作ったり、利益を伸ばしたり、つまりは企業価値を最大化させることなどできるはずもありません。
このことを、経済メディアはもっともっと取り上げるべきだと思います。
経済は人の心が動かします。
自らに大きなリスク無いところで、または、自らのリスクに気づいていないところで、人ががんばって仕事するとは思えないわけです。
(だから、官製事業は、めちゃくちゃ効率が悪いのですが)
株式市場では、上昇トレンドが続いています。
公的年金であれ、特別予算であれ、個々の人間が『その額の』リスクを抱えているわけではありません。
また、上場企業の株主構成における外国人比率が低下し、一方で個人マネーの比率が高まっているらしいですが、その個人においても、大多数は、「オーナー意識」が希薄でしょうし、そもそも、どれほどの株価が妥当であるかという「価値算定」の術を持っているとも思えませんから、極めて危うい相場展開だといわざるを得ません。
リスクの所在が明確ではない世界は、極めて危ういと、すべての収入や運用におけるリスクを、一人で抱え続けている僕は強く思います。
2009年6月5日 板倉雄一郎
PS:
なぁ~んて書いてもねぇ・・・所詮個人マネーは、保有する株式の「市場価格に対するリスク」は認識していても、当該企業の経営に対するリスクなんてまるで感じていないわけですから、意味無いかもですが。
今だからこそ、「真っ当な株式投資」をたくさんの人に読んでもらいたいと思うんですが、「10倍儲かる!」とかの内容じゃないから、やっぱり売れないんですよね。
ぶっちゃけ、この本の売れ行きがイマイチ(というか僕の著書の中で最も部数が出ていない)ことから、個人投資家に対するセミナー事業の気力を失ってしまったんですけどね。
「ああ、やっぱり『直接的な儲かる系』じゃないと、お金関係は売れないのね」って。
PS^2:
そうそう、極めて個人的なことですが、そろそろお食事会三昧のペース落とそうかなと。
自分がお食事会活動を通じて、結局「何がしたいの?」が良くわからなくなってきたものですから。
「何がしたいの?」がないところで、流されたり、なんとなくだったりする時間が、加齢と共に、「ものすごくもったいない!」と思うようになるんです。
残りの人生が日々減っているという「実感」が、加齢と共に沸いてくるわけですよね。
(↑ お前、いまさらかよ)