「国がお金を出してくれる。」
そう思っているヒト、多くなったと感じます。
会社が倒産しても、それがToo Bigなら国がお金を出してくれる。
収入が減っても、必要なモノには補助金を出してくれる。
職種を選り好みしながら働かなくても、様々な補助金を出してくれる。
正社員にさえなってしまえば、首にならなくて済む。
借金の返済が滞っていても、法律が味方してくれる。
このまま行けば、金持ちのお金を国が吸い上げ、俺達に回してくれる。
・・・
「自分が不幸であることの原因はすべて自分にある」と、
自己責任を教えられ、ウツになっていたヒトたちが、今度は、
「自分が不幸であることの原因はすべて社会にあったんだ!」
と変化していき、
「俺はこんなに不幸なんだ。お金頂戴!」
と大合唱するようになったら、この国ダメになる。
リーマンショック以前、お金を稼ぐこと、使えること、持っていること・・・すなわち仕事ができることは素晴らしいことだった。
今は、どれほどお金で苦労しているかを「訴えるヒト」が注目され、訴えたことが重宝される。
バラマく事によって選挙に勝とうとする政党がある。
夏の参院選前に、たくさんバラマキを実行すれば、支持率が回復すると考えているようだ。
民主主義である以上、そんな政党があること自体はなんら問題は無い。
しかし、その結果、本当にこの政党が圧勝するとしたら、この国は、「自分だけがよければいい」というヒトだらけの国だということの証明になりはしないか。
子供手当てなる継続的バラマキは、その手当てに生活固定費の一部を依存する家計が増えるだろうから、一度始めたら簡単にはやめられない。
簡単にやめられないバラマキだが、財政的には継続不能という現実がある。
10年後、父親や母親が子供に対して・・・
「お前を生めばお金がもらえるから生んだんだよ。
それなのにお金がもらえなくなったんだ。どうしてくれるんだ!」
なんてことが起こったら悲劇としか言いようが無い。
「コンクリートからヒトへ」とは、確かに聞こえがいい。
しかし、あらゆる事業のコストは、最終的に人件費と資本コストに集約されることは間違いないのだから、コンクリートだってヒトへの配分に違いない。
違いは、
「(穴掘って埋めるだけの場合もあるだろうが)労働を伴うバラマキ」と、
「労働を伴わないバラマキ」、という違いでしかない。
民主党の言うところの、「コンクリートからヒトへ」とは、すなわち労働を伴わない「本物のバラマキ」ということらしい。
益々もって成長などするはずが無い。
さよならジャパンの準備をしている個人や企業は益々増える。
僕の周りにも増え始めている。
民主主義である以上、バラマキ賛成の有権者が大多数ならば、そうではないヒトはさよならするしかなくなる。
そして、バラマキさえ実現不能になる。
2010年3月3日 板倉雄一郎