板倉雄一郎事務所 Yuichiro ITAKURA OFFICE

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ITAKURA’s EYE 「消費の未来」

<TOYOTA iQ返品>

僕は、25年間の車人生の中で、20台以上の新車・中古車を乗り継いできました。
ブランドで羅列すれば・・・

TOYOTA、Mercedes Benz、Ferrari、BMW、Renault、Porsche、Volvo・・・などなど。

過去には、買ってがっかり、の車はいくつかありましたが、それでも少なくとも3ヶ月ぐらいは、「とりあえず乗ってみよう」とがんばって乗ってました。

先週末、2ヶ月ほど前に注文していたTOYOTA iQが納車されました。
そして、当日、TOYOTAに返品(?)しました。

「頭は下げるが金は取る(金は支払わない)」がモットーのトヨタ」、を相手に返品にかかる様々な交渉が待っているので気が重いです・・・

もちろん、損失したとしても大した金額ではありません。
(ただし、たった1日で損するわけですから、投資損失「率」を考えれば、とんでもない率の損失であることは間違いありません。)
金額より、「自分の購買判断の失敗(涙)」、そして、「こんなモン売りやがって!(怒)」という気分が、僕をして、「ああ失敗しちゃったぁ、次は失敗しないようにしよぉ~」なんて軽く収めることができない感じなわけです。

と同時に、金融危機以降の世界経済における、「日本製」の限界が垣間見れたように思いますので、そのあたりについて、プライベートなことも交えながら書いてみたいと思います。

<母上の喜ぶ顔が見たかった>

最初は母上へのプレゼントとしてiQの購入を決めました。
もう10年以上乗り続けた母上のダイハツmiraが、あまりにボロボロでみすぼらしかったからです。
なんというか、自分の母上に、おしゃれな車に乗って欲しいという、僕自身の希望でした。
結論から書けば、母上へのプレゼントなのに、母上の立場ではなく、自分の希望で購入を決めたのが事の発端だと、今では反省しています。

千葉トヨタの営業マンの運転によって納車されたiQと入れ替えに、miraを引き取ってもらいました。
早速、母上をドライビングシートに乗せ、僕はナビシートに乗り近所をドライブすることにしました。

元々運転が上手なわけではない母上は、慣れない新車を前にかなり戸惑っていましたが、それは「慣れ」の問題のはずだと、ドライブを薦めました。

10メートルも進むと、母上が不満を漏らし始めました・・・

「この車、大きい。私には無理。」
確かに、iQは、全長こそ短いけれど、横幅は結構広い。
けれど、慣れの問題。

500メートル進んで、また不満を漏らしました・・・

「なんだかスムーズに動かない。」
確かに、無段階変速機CVTは、慣れないと変な感じがするけれど、これも慣れの問題。

「後ろがぜんぜん見えない。」
確かに、miraに比べればリアウィンドウの面積が小さいかも。
でも、これさえ慣れの問題。

1Kmも進むと、さらに不満を漏らしました・・・

「この車、なんだか重い感じ。」
サスペンションの設定、パワーステアリングの設定などで感覚的に感じる車の「重さ」は、実際の車重とは別に変化するものだけれど、これこそ慣れの問題。

そして母上は、こう言い出しました・・・

「もう帰ろう。私嫌だこの車。」

この時点で僕は、「母上に対して」少々憤慨しました。

「せっかく新車をプレゼントしたのに、文句ばっかり。ただ慣れていないだけなんだよ!」

車内はかなり雰囲気が悪くなりました。

一度家に帰り、食卓でお茶を飲みながら、母上を説得しました・・・

「お母さん、何事にも『最初』ってあるんだよ。
 僕だって、馬鹿でかいランクルが納車されたときは、その大きさに戸惑ったよ。
 だけど、要は『慣れ』だからさ。
 一週間も乗れば、すぐに慣れるさ。」

そんな話の後、母上が自分から言い出しました・・・

「じゃあ、もう一度ドライブしよう!」

この言葉は、僕をとてもハッピーにさせましたが、母上にかなり負担をかけていることに、この時点では気がつきませんでした。
なぜなら、僕は、未だiQをドライブしていなかったからです。

2度目のドライブは、母上の勤務先までの道のりです。
(母上はもう70なのに現役の看護婦です)

母上も少しは慣れたらしく、とりあえず無事に母の勤務する病院までの往復をこなしました。

そして帰宅した後、母が漏らした言葉は・・・

「私、電車で通勤するよ。」

がぁ~~~~~ん(涙)

<iQ試乗記>

その日、僕は例によって「お食事会」の予定がありました。

「そうだ、今日は母も休み。新車のiQがあいている。だからiQを船橋~麻布~船橋の足として使ってみよう!」

iQのドライビングシートに座り、まずはシートポジションの調整・・・

「あれ???座面の上下調整はどこにあるの???」

無い。どこを探しても無い。あるのはシートの前後調整と、背もたれの角度調整だけ。
マニュアルを見ても、無い。

新車価格100万円の「軽」なら、それでも文句は言わない。
けれど、iQはコンパクトではあるが高品質の車のはず。
その上、「Gパッケージ」という最上位グレードを買ったはず。
シートだって、本皮張り。
車両本体価格160万円也。
なのに、なぜ?

この時点で、「僕はとんでもない馬鹿な買い物をしたんじゃないだろうか?」と変な予感がしました。

車の部品の中で、シートは最も重要な部品の一つであることに疑いの余地はありません。
なぜなら、人が車をドライブするとき、最も人との「接触面積」が広いのがシートですし、車の挙動のほとんどを人はシートを通して感じるわけですから。

なのに、調整できるのは、「軽」並みに、前後と背もたれ角度だけ。
この車、「見栄え」ばっかりで、乗り手のことをまるで考えてない。

がぁ~~~~~~~ん。

僕の体は、身長166cm、体重62kg。
もっと身長があればなぁ~とコンプレックスはあるけれど(笑)、恐らく日本人の体系として、特別平均から外れているわけではない。
その上、胴が長い(=足が短い)から、シートの「高さ」を要求するような体系では絶対にない。
そんな僕でも、iQのドライビングシートに座ると、窓面積の少ないデザインも手伝って、「なんだか見切りが悪い」と感じさせる。
まるで風呂桶の中に沈んでいるようなドライビングポジションは極めて苦痛。

その上、ステアリングの上下はあるけれど、前後調整ができない。
(↑ まあこれは許してあげよう)

納得の行くシートポジションが取れないまま、とりあえずスタート。

「あれ???ルームミラーで後方が見えないぞ???」

ルームミラーをどんな角度に調整しても、見えるのは後方の車3台分程度。
さらに後方は、どれほどルームミラーを調整しても見えない。
ルームミラーの位置(高さ)と、ルーフの高さがぶつかってしまうから、より後方をルームミラーに写そうとルームミラーの角度を上げても車の天井が写るだけ。

「なんだこれ????」

この時点で、「不満」は、「怒り」に近づく・・・

千鳥町から首都高速湾岸線に乗り、およそ100km/hで走行していて驚いた。

「うっ! 後頭部を殴られた」

もちろん後席の誰かが僕の頭を殴ったわけではなく、僕の頭はシートのヘッドレストに殴られたわけです。
それも、路面のつなぎ目を超えるたびに、何度も何度も。

ぼよぉ~ん、ぼよぉ~ん、ぼよぉ~ん、ぼよぉ~ん・・・・

iQは、そのホイールベース(前輪と後輪の距離)が極端に短い。
したがって、iQのテレビCFのように、小回りは効く。
それも、恐ろしいほど小回りができる。
CFでは嘘は言ってない(笑)

一般的に、ホイールベースが短い車の挙動は「ピッチングがひどい」
ピッチングとは、路面のギャップを車が乗り越えるときに、「前のめり」になったり、「後ろ下がり」になったりする運動のことで、ホイールベースが短ければ短いほど同じギャップでもピッチング角が大きくなる。
たとえば、同じ高さの路面のギャップを、全長がながーい車の前輪が乗り上げたとき、車が1度「前上がり」になるとすれば、それより短い車の場合、3度「前上がり」になるって理屈、わかりますよね。

iQの場合、ホイールベースが極端に短いだけじゃなく、サスペンションの設定がかなりハード。
したがって、ピッチングが激しく、強く、ちょっとした路面のギャップでも、すぐにピッチングとなって現れる。
その結果、ちょいと大きなギャップを通過するときにヘッドレストが後頭部に接触するわけです。
ちょいと大きなギャップとは言っても、高速道路の「つなぎ目」程度のギャップでさえ、iQは激しく、速く、ピッチングします。
ある程度は想像していたが、これはひどい。

まるで自分がチキチキマシンモーレースのような「お笑いアニメ」の主人公になったようだ。

以前に友人のMercedes Smartをドライブしたことがある。
(ちなみに、iQは、明らかにSmartを意識した車です。コンセプトも同じだけれど、名前を見たらわかるでしょ。SmartとiQですからね(笑))
確かにSmartのピッチングも気にはなったけれど、iQ程ではない。
サスペンションの設定が絶妙だったのだと、iQに乗ってわかった。

「怒り」が「がっかり」に変化した頃、お食事会の目的地に着き、初めての縦列駐車。

「さすがに、この車、駐車は楽だろうなぁ」

と、淡い期待で、路上の300円駐車枠に止めようとするが・・・

「あれ??? 左側がよく見えないぞぉ???」

この車が、「ルックス重視」であることにこのとき気がついた。
窓面積がやたらと少ない。
だから、全長3メートルちょっとなのに、車がやたらと大きく感じる。
つまり、「車両の見切り」が、その大きさから想像するより遥かに悪い。
ドアの最上部に対して頭の位置が低いから、とにかく前後左右すべての方向の見切りが悪い。
特に左方、および後方の直近が全く見えない。

この車、ランボルギーニなのかぁ

ここまできて、ようやく母上の不満の言葉のいくつかを思い出した・・・

一つ思い出すたびに、「ああ、母上の言っている通りだ」と。

お食事会を早々に引き上げ、がっかり気分満タンで帰路に着く。
座面の高さが足りないから、めちゃめちゃ背筋を伸ばし、ステアリングにしがみつきながらドライブするしかない。
帰りの首都高でも、ヘッドレストに後頭部をガンガン殴られながらドライブする。

まるで「バツゲーム」。
確かに、母上の立場で考えなかった僕へのバツゲームといえば、バツゲームだ。

「がっかり」を通り越して、悲しくなってきた。

帰宅したころには、もうヘトヘト。
だからすべてを忘れてさっさと寝たかったけれど、そうはいかない。やることがある。

一つは、母上に謝ること。
一つは、21時を回っていたがトヨタの営業マンを呼びつけること。
そして、miraが廃車になる前に、戻してもらうこと。

トヨタの営業マンには、1時間ぐらい説教した。
そして「返品」を伝えた。
当然ながら、一度登録した車だから、トヨタが精一杯の数字を出したとしても僕は結構損をする。
少なくとも、消費税やら自動車登録税などの税金は戻ってこない。
けれど、そんなけち臭いことで、母上に苦痛を与え続けることなんてできない。

母上に謝った。

これは母上に直接伝えたことでは無いけれど、「自分の想い」が先走り、本来考えるべき母上の都合をあまり考えなかったことが原因だった。

「自分の母上におしゃれな車に乗って欲しかった」

「母上の喜ぶ顔が見たかった。」

けれど、それは独りよがりに過ぎなかった。

それは、母上へのプレゼントという手段を通じて、「自分の満足」を求めた結果だった。
iQを買う理由は、自分の都合ばかりだった。

今思えば、ちょっとした買い物に使っていたmiraはいい車だった。
とがったところや、車からの主張など全く無い。
ただただ、遅いがちゃんと走る。
駐車もらーくらく。
ルックスより使いやすさを優先させたmiraは、「足として」まるで不満が無かった。
シートポジションは前後と背もたれの角度しか調整できないが、窓の面積も広く、ルームミラーはちゃんと後方を写すし(←そんなのあたりまえだが)、iQとほとんど変わらないほどホイールベースは短いのに、小さい車を得意とするダイハツのサスペンションセッティングによって、ピッチングは気にならなかった。
問題は、「パッシブセイフティー」だった。
miraだと事故ったら母上が怪我する。
それもiQを選んだ大きな理由だった。
けれど、そもそも運転しづらいことは、「アクティブセイフティ」上よろしくない。

心の中で、miraにも謝った。

翌日、廃車を免れたmiraがトヨタの営業マンによって戻された。
入れ替えにiQを持っていってもらった。

返品のスキーム、価格については、これからだ。

人をがっかりさせる車。
その車を作り売っている会社に、本当にがっかりだ。
母上もがっかりだろう。
母上をがっかりさせた僕自身にも、かなりがっかりだ。

過去にも同じような思いをしたことがある。
かれこれ20年も前になるが、当時一世風靡した初代のTOYOTAソアラ2.8GT Limitedはいい車だった。
一度目のマイナーチェンジ後の車だった。
この車がいい車だったから、フルモデルチェンジした二代目ソアラ(3.0GT Limited)を東京トヨペットの第一号車として納車してもらった。
今回のiQと同様、「試乗」せずに注文した。
トヨペットの店頭まで引き取りに行き、10メートル走ったところで、買ったことを後悔した。
新しいエアサスペンションは、その制御もめちゃくちゃだし、フワフワ過ぎて乗ってられなかった。
3リッターDOHC+ターボなのに遅かった。
ターボラグもひどかった。
無理して「新技術」を持ち込んだいくつかの機能は、作り手の主張ばかりで、乗り手には使い勝手が悪いばかりだった。

トヨタは、新機種に飛びつく顧客を「犠牲」にする傾向がある。
そして、その犠牲のおかげで、マイナーチェンジで車を仕上げる。
僕はまんまと、トヨタの犠牲になった。
恐らく、iQも、今後、電気バージョンやクリーンディーゼルなど様々なグレードが発表され、そして2年もすればマイナーチェンジを迎えることになる。
そのとき、この車は、「それなりに」完成するのだろう。

人は感情的な生き物。
特に僕はその傾向が強い。
これまでトヨタが、その経営も含め大好きだった僕は、この一件で大嫌いになった。
好きだった分、嫌いの度合いも強くなった。

3年間大好きで乗り続けたランクル100も、3月の車検までには売りたいと思うまでになった。
株主としては、とうの昔にその縁を切ったが、顧客としての縁も切りたいと思うようになった。

<工業製品の未来>

図らずしも、10年落ちのmiraと発表直後のiQを比較することになり、その結果は、miraに軍配が上がった。
今回の一見は、金融危機後の世界経済の変化における大衆工業製品の未来について考える上で、とても良い経験になった。

本当に(社会が)新機能を必要としているのだろうか?
本当に(顧客が)ブランニューに価格を支払う価値があるのだろうか?
本当に(企業が)新規開発に投資し続ける価値があるのだろうか?

これまでは・・・
「隣が車を代えたから、そろそろ当家も」とか、
「あいつがかっこいい車に乗ってるから、それ以上を僕も」とか、
そんな程度の理由が消費を支えてきたのだろうと思います。
しかし金融危機以降の世界の「消費トレンド」は、大きく変化するのだろうと思います。

過去にも書いたことですが、「機能」や「モノ」は、溢れています。
現在のトレンド上の「新機能」は、もう売れないのではないでしょうか。

金融危機以降の世界経済のダウンサイドリスクは、その原因が「金融」だとほぼ断定されています。
確かに、自動車や住宅など、多くの人がローンで購入するモノについては、ファイナンスが付かなければ売れません。
したがって、金融に原因がある・・・と結論付けられているようです。

しかし、その分析は、モノが売れない原因の「一つ」が金融であることの証明にはなりえますが、モノが売れない理由の「すべて」だと結論付けるのは危険だと思います。
各国のバラマキ政策や、金融機関への資本注入が功を奏し、金融危機が収まったとしても、消費が増えるとは限らないのではないか。
人類が今回の金融危機をきっかけに、「あれ?これまでの消費って、実は必要なかったかも」と、少なくとも先進国に暮らす人が気がついてしまったのではないかと思うわけです。

先進国においては、「モノ」より、「サービス」が、これまで以上に価値を高めるのではないかと思います。
新しい「機能」より、今あるモノやインフラの「上手な使い方」を提案する企業や個人の価値が高まるのではないかと思います。

そんな消費トレンドの大きな変化が、金融危機によって動き始め、世界経済がモノの消費によって回るという「非グリーン」な性質から、人が本当にハッピーになるような性質に変化するチャンスになりえるのではないかと思います。

<何もしない方がいいかもしれない>

世界の情勢は、金融危機以降、間違いなく「保護主義」に傾いています。
恐らくアメリカに限らず、「大きな政府」が台頭することになるだろうと思います。
そして、各国の経済も、世界経済も、そのドライバーが市場ではなく政府に委ねられるのだと思います。
僕は、それが歴史的に戦争を招いたり、本当に必要な「変化」を阻害したりするのではないかと懸念しています。
もっとストレートに表現すれば、「何もしない方がいいのではないか」とさえ思います。
何もしなければ、確かに犠牲者が続出する可能性があります。
しかし、現在のように「既に終わってしまっているビジネスモデル」さえも何とか救おうとする各国政府の「余計な仕事」は、放って置けば芽が出るはずの新しいビジネスモデルを枯れさせてしまうのではないかと思います。

日本の産業の例で言えば、(少なくともこれまで)自動車産業は世界に誇る競争力を身につけてきましたが、通信業はまるでダメです。
この違いの一つに、「政府による関与」が挙げられます。
自動車産業は、政府による保護管理がされてきませんでした。
他方、通信産業は、ずっと「国営」だったわけです。
この例のように、現在の保護主義的傾向によって、「自力では継続不能な企業」ばかりが増え、その結果、本来市場が求める商品の提供がされない可能性を否定できません。
つまり、保護したところで経済が浮揚するとは限らないということです。

GMを救ったところで、GMの車を市場が消費するのでしょうか。
市場が求める車を、GMが作れるのでしょうか。
僕には、そうは思えないのです。

放って置いた方が、次の時代に合致したビジネスモデルが生まれるのではないかと思います。

<次世代へのメッセージ>

話がずいぶん飛んでしまいましたので戻します・・・

僕はTOYOTA iQから「次世代」を感じ取ることが全くできませんでした。
燃費で言えば、miraと大して変わらなですし、
コンセプトで言えば、10年ほど前に発表されたMercedes Smartと同じです。
しかし、そこはトヨタ製。だから「勝手に」高品質を思い込んでいました。
乗ったらきっと満足するだろうと。

iQから感じ取れたことは、「これからトヨタの迷走が始まる」ということだけでした。

トヨタグループの従業員などにヒアリングしても、今後の会社の方向、生産ラインの変更など、「全くトップから伝わってきていない」ということです。

トップが迷走を始めれば、企業はあっという間にダメになります。

政治においても、企業経営においても、今必要なのは、「次世代への明確なメッセージ」ではないでしょうか。

世界中がそれを求めているのだと思います。

2009年2月2日 板倉雄一郎

PS:
トヨタからどんな数字が提示されるのか、気が重いです。
僕が満足するような数字が提示されることは恐らく無いでしょう。
iQのオークション価格も知っていますから・・・

試乗してれば、絶対に買わなかったのになぁ(涙)
母上に嫌な思いをさせ、「もう車には乗らない」とまで言わせてしまったし、母上の「iQインプレッション」を馬鹿にしてたし、自分の独りよがりだったし・・・

でも、miraが無事に戻ってきたから、よし!

それにしても、iQは出来損ないのとんでもない車だよ。
作り手の「実験」であって、乗り手のことは、ほとんど何も考えられていない。
このエッセイによって、トヨタの犠牲者が少しでも減れば幸いです。

トヨタのばーか。





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