板倉雄一郎事務所 Yuichiro ITAKURA OFFICE

企業価値評価・経済・金融の仕組み・株式投資を分かりやすく解説。理解を促進するためのDVDや書籍も取り扱う板倉雄一郎事務所Webサイト

feed  RSS   feed  Atom
ホーム >  エッセイ >  ITAKURA's EYE  > ITAKURA’s EYE 「2009年を振り返って」

ITAKURA’s EYE 「2009年を振り返って」

少し早いかもしれませんが、今年最後の「板倉の」エッセイとして、僕自身の2009年を振り返ってみようと思います。

極めて私的なことなので、読者の方々における価値は、恐らくありません。
ですが、このところエッセイを休んでいること、そしてエッセイに限らず私的な活動においても極めて消極的になっていることなどを、この場で説明する責任もあるかなぁ?ということで以下書かせていただきます。

結論から書けば、僕の2009年は、なにやってもダメぇ~な年でした。

 

資産運用・・・

これ、ほとんど何もできませんでした。(というより、「しませんでした」)
何もしなかったがゆえに、2009年3月からの短期的な株価上昇にも乗れず、結果として実損失はありませんでしたが、結構な機会損失でした。
同時に、デフレーションと円高傾向による、「実質利回り」は、わずかではありますがプラスになりました。
(ここで言う「実質利回り」とは、一定のキャッシュで購入できる権利やモノ、そしてサービスが増大したという意味であって、100のキャッシュが資産運用によって120とかになったわけではありません。)

何もできなかった、もしくは、しなかった主な理由は、僕の運用原則であるところの「わからない、または自信が持てない対象には投資しない」という原則を貫いたことにあります。
(ただし、資産運用とは区別し後述する新規事業インキュベーションに対する投資は大失敗に終わりました。)

結果として、運用成果より運用原則を維持できたことにつき、「これでよし」、と納得しているのですが、いつになったら自信を持てる投資対象にめぐりあえるのか、少々不安でもあります。

不安が増幅することがあるとすれば、近い将来起こる可能性の高い(と思っている)インフレが現実味を帯びてきたときだと予測します。

デフレ傾向である現在において、近い将来のインフレを心配することについて、「?」と思われる方も多いかと思いますが、既に世界中の金融緩和による「お金余り」は、資本市場を中心にインフレを引き起こしています・・・いわゆる川上インフレですが、これはグローバリズムの中での日本の場合は、経済停滞と輸入インフレを同時に引き起こすスタグフレーションの可能性を否定できない状況だと、僕は、予測しています。

世界中の金融緩和によって溢れたお金は現在、世界中の貯蓄率の上昇が示すように個人や企業の懐に収まり静かにしていて、その一部が投機資金として上記のような川上インフレの原因となっていると推測しますが、その資金が何かをきっかけに実体経済に流れるようなことがあれば、あっという間に過度のインフレに繋がると予測します。

日本国内においては、内需拡大によるインフレが起こる可能性はきわめて低いと予測しますが、特に中国をはじめとする新興国の経済成長が、同国のバラマキとあいまって、世界中の様々な原材料や労働力の価格上昇を引き起こし、経済停滞が長引くであろう日本におけるスタグフレーションの可能性を否定できません。

現在はデフレーションの原因の一つとなっている円高傾向は、輸入インフレの抑制圧力にはなり得ますが、コモディティー価格の高騰(があるとすれば、その高騰)を打ち消すには十分では無いでしょう。

さらに、JGBの乱発による長期金利上昇が顕在化すれば、経済成長の大きな抑制要因となりえます。

今は、黙って「円」を持っていればいい。けれどひとたびインフレに傾けば、別の経済価値に置き換えなければ実質利回りがマイナスになってしまいます。

しかしそれがいつなのか? また本当に起こるのか? 僕の経験、知識そして情報の範囲でははっきりとしたことはわかりませんし、僕の予測に反して、延々とデフレが続くことも否定できません。

まあ簡単に言えば、「何が起こってもおかしくない」わけです。

以上のような予測にならない予測による「迷い」は暫く続くと思いますし、いつまでも解決しないのかもしれません。
いずれにしても、暫くは動けないという状況が続きそうです。

ふぅ~~そんな迷いばかりの2009年でした。

 

新規インキュベーション事業・・・

これ、やってみました。
そして、少なくとも現時点では失敗といわざるを得ない状況です。
振り返ってみれば、「皆がやりたいのなら付き合うよ」といった、僕の投資原則から著しく逸脱した判断によるスタートアップでした。
だれが悪いのでもなく、自分自身の判断ミスでした。
が、この失敗から得られたことも少なくありません。

それは、「結果より判断基準が重要だ」、ということの再認識です。

そもそも「この事業はいいぞ!」などとこれっぽっちも思っていなかったどころか、「こんな事業がキャッシュを生む理由がわからない」と思いつつ投資した結果が失敗であったことは、なんとも悔しい。
でも、「原則は守らなくっちゃ」ということを肝に銘じることができたことで良しとするしかありません。

ふぅ~~そんな失敗もあった2009年でした。

 

その他の活動・・・

商用書籍の執筆、新しいコンテンツのセミナー、読者の興味を惹くエッセイ、使える知識を凝縮したDVD・・・何度もアイデアを考えましたが、時代の変化に十分対応し切れていない僕は、一般の心を捉えるであろうコンテンツを開発することがついにできませんでした。

思い起こせば、この春に「朝まで生テレビ!」に久々に出演したことがきっかけといえばきっかけです。
(番組のせいで具合が悪くなったという意味ではありません。)

過去には大変お世話になった番組です。
2005年当時、この番組に出演したことがきっかけで現在の活動に火がついたとさえいえると思います。

しかし、この春の出演(テーマは「格差問題」)から・・・

「この社会は自分の思うところの理想の社会からずいぶんとかけ離れてきてしまっている」

という認識を持つようになりました。
別の表現をすれば、この番組に出演したことによって、自分の暮らす社会の変化に始めて気がついたというわけです。

そもそも現在の活動は、可能な限り多くの方々に資産運用やファイナンスの知識を伝え、(僕自身が思うところの)より良い社会の実現のための一翼を担うということを理念にしてきました。
その結果としてそれなりの収益を得ることができれば幸いというわけです。

しかし現実は・・・

「日払いだった給与が週払いになったおかげで暮らせなくなり退職した」

という番組中のある若者の発言に象徴されるように、ファイナンスや資産運用の知識がどうのと言っている場合ではない方々が実はたくさんいらっしゃる。
そしてそのような方々が、実は実体経済の大きな部分を占めている。
(上記の発言は、もちろん極端な例ですが、考え方が根本的に異なる方を象徴する意味で引用。)

「図書館行って本でも読んで、少しは知識を習得しろよ!」

と言いたくもなりましたが、そんな次元ではないことを思い知りました。

それからというもの、港区や渋谷区のホンの一部のお金持ちと、明日の生活にも苦慮する大多数の方々の対比が気になり始め・・・

「この社会、一体どうすりゃいいのよ!」

と迷うばかりで、現在の活動理念が極めて非現実的であることを思い知り、活動の方向感を失い、ついにはエッセイについても、10行書いては、「こんなんじゃなんの足しにもならない」とアップロードを取りやめることが続くようになりました。

それでも、

「エッセイに期待していただける読者が居るのだから、何か書かなきゃ!」

という下手な責任感は、自分に対する負のプレッシャーになるばかりで、自分にとっても読者にとっても価値あると認められる内容になるには程遠い結果になってしまうことばかり。
それを僕自身が認識するからこそ、更なるプレッシャーにと、まさにネガティブ・スパイラルに陥ってしまったというわけです。

こんなとき、ある著名な執筆家の言葉を思い出します・・・

「自分がネガティブな精神状態のとき、決して公にする文章を書いてはダメだ。
 ネガティブさが読者に伝染してしまう。」

エッセイアップをためらっている原因はここにあります。

だから、本日のこんなエッセイなど書かずに、黙って休んでいる方が良いに決まっているのですが、エッセイを楽しみにしている読者が居るとすれば、少なくとも「書かない理由」は説明すべきだろうと、このエッセイを先の執筆家の教えに反して、一度だけ書かせていただいているという次第です。

お許しください。

 

私生活・・・

余り詳しくは書きませんが、僕が最近、「マニー(money)ちゃん」と形容する女性の大量発生(?)に悩んでいます(笑)
簡単な話、何らかの金銭を求められることが多くなったというわけです。

僕自身がモテなくなったこともあるでしょう。

「このオッサンにはカネしか期待できない」と思われているのかもしれませんし、以上のような僕の精神状態が僕の表情や態度を通して相手に伝わることが原因でモテなくなったのかもしれません。

いずれにしても、この夏ごろから、お食事会に参加するたび、なんだか凹んでしまうことが多くなりました。

なので、夏以降は一時期を除き、出不精を貫いています(笑)

で、出不精は、デブ性にも繋がり、若干ではありますがデブになってしまいましたぁ

 

その他・・・

会員とのコミュニケーションと運動不足の解決のためにゴルフを再開してみましたが、新調したクラブによって(僕にしては)良好なショットを手に入れるも、欲をかいてレッスンプロについてフォーム改造を試みたおかげで、まるで初心者のような状態に突入(凹)

先日は久々の「お呼ばれ講演」に出かけましたが、主催者と僕の段取りミスによって告知が十分に成されず聴衆はなんと9名(凹←この12年間の講演活動で最も少ない人数でした)

本日(2009年12月14日)発売の「週刊現代」の「人生のパートナー」という愛犬を連れての正装写真コーナーのカラー1P写真は、アキラ君(スタンダードダックフント雄13歳)はイケ犬写りだけれど、僕はといえば、「おいおいずいぶん老けたな俺」な感じですぅ(凹・・・撮影の前の晩に飲み過ぎ、明らかにお顔が浮腫んでしまっているという行いの悪さです。)

そういえば、この数年間、ぶっ飛ばすも全く検挙されなかった運転でも、8月に首都高湾岸線にて41Km/hオーバーで捕まり30日免停・・・停止期間短縮講習を受け事なきを得ましたが、翌月、一夜を共にした女の子を朝自宅に送り、別の女の子とのデートに向かう途中でまたもや捕まるという行いの悪さ(凹・・・かろうじて後1点残っていますから来年の秋まで安全運転ですぅ)

 

以上のように、凹みだらけの2009年でしたが、よいこともありました・・・

このことは表現を控えていましたが、心筋梗塞で倒れた父が4ヶ月入院の末、この4月に心臓と腎臓の疾患で他界しました。

このことは当然ながら「よいこと」ではありません。しかし・・・

僕と父は相性が良くありませんでした。
会話をすれば常に喧嘩になり、一緒に出かければ互いに不愉快な思いをするような仲でした。
そんな父との関係は、父にとってもストレスの原因だったに違いありませんし、僕にとっても父との関係を何度修復しようと試みても成せないでいることはストレスの原因でした。

2008年のある日、僕は、自宅の敷地内で愛車の洗車をしていました。
父は、徒歩で買い物に出かけました。
しばらくして買い物かごをぶら下げ、おぼつかない足取りで帰ってきた父は、車のホイールを丁寧に掃除している僕を見て、それまで見たことの無いような、でもいつか見たことがあるような満面の笑顔を僕に向けました。

父は車が大好きでした。
僕が小さく、まだ父との関係が悪くなかった頃、父は当時の名車「ISUZU Bellet 1600GTR」のナビシートに僕を乗せ、できて間もない東名高速道路を他人には言えない速度でかっ飛ばしながら二人ではしゃいだことがありました。
僕の記憶では、父との楽しい外出はあれが最初で最後でした。
僕が車好きなのは、恐らく父の影響でしょう。

そんな車好きの父にとって、車を大切に磨いている息子の姿が、きっと微笑ましいと思ったのでしょう。
あのときの父の満面の笑顔は、妙に脳裏に焼きつきました。
その笑顔から数時間後、父が急に倒れ救急車で近所の総合病院に入院することになりました。

何が「いいこと」なのかって?

元気な父の最後の姿が、二人ではしゃぎながら東名高速をドライブした時に僕に向けられていた父の満面の笑顔と同じだったこと。それが、僕にとって「いいこと」でした。
それまでの父との芳しくない関係をすべて忘れさせてくれるほどの笑顔でした。

2007年に愛犬の雄太が他界したとき、悲しかったけれど、後悔はしませんでした。
それは、彼の生前に僕ができる限りのことをしたという自負が僕にあったからです。
同じように、僕ができる限りのことをしたという自負があり、父の他界も自然に受け入れることができました。
父の満面の笑顔付きで。

 

ネガティブな話で始まった2009年最後のエッセイですが、思い起こせば、父とのハッピーな最後があり、最も尊敬する母はめちゃくちゃ元気で現役看護士を続けているし、愛犬のアキラはもう13歳だというのにめちゃくちゃ元気。
僕自身も認識している範囲では健康。
そして我が家は明日の生活を心配するような経済状態でもない。

う~ん、ハッピーな部分を探せばハッピーはたくさんある。

日本全体が、「それでもハッピーなこと」に目を向けられるようになればいいのに。

 

2009年12月14日 板倉雄一郎 今年最後のエッセイとして。

 

PS:

ということで、僕自身の精神状態が良好になるまでの暫くの間、長めの年末年始休暇とさせていただきたいと思います。

2010年の活動開始は未定です。

読者の皆様も、良い年末年始を!





エッセイカテゴリ

ITAKURA's EYEインデックス