米国有名コンピュータメーカーの高機能製品の「中身」は、日本のある大手家電メーカーが作っていたりします。
Fomula One で、めちゃくちゃ強いあるチームのエンジンは、実は静岡を拠点とする有名日本メーカーが設計~製作~チューニングまで行っていると聞きます。
(↑ 5年ほど前に、とある有名自動車雑誌の編集長とお食事したときに直接お聞きしましたが、今でもそうなのかは知りません。)
これは大多数がご存知かと思いますが、Louis Vuittonのバックのファスナーも、NASAの宇宙服のファスナーも日本製です。
こんな例・・・つまり高付加価値(=利益率の高い)商品の中身が日本製であることは、他にもめちゃくちゃたくさんあります。
さて、あの有名ブランドの中身が実はメイドインジャパンであることを、日本人として・・・
「誇らしい!」
と思いますか?
そう思う方もいらっしゃるかもしれません。特に、技術畑の方々は、「実は俺が作ってんだぜ!」ということを誇りに思うかもしれません。
けれど、少なくとも僕はそう思いません。
そう思わない理由は・・・
「せっかく技術レベルが高いのに(=技術に対する過去の投資が大きいのに)、
技術の使い方が下手で(=応用製品を顧客目線で作れない)、
技術の見せ方が下手で(=世界戦略、ブランド戦略が下手でガラパゴス化が進むだけで)、
結局、儲からない(=利益の大部分はブランド側に持っていかれてしまい、投資利回りも低く、労働配分も低い)。」
と思うからです。
企業が作る商品の、「1商品あたりの粗利益」は、ブランドや付加価値の度合いによって大きく変わります。
わかりやすい例で言えば、トヨタ・ヴィッツを何台売っても、レクサスを1台売った方がトヨタの儲けは大きいわけです。
いつも書いているように「機能の勝負」では、今や安い労働力によって作られる新興国企業と同じ土俵での勝負になってしまい、結果として利益(←投資家への配分)が少なくなってしまうばかりではなく、従業員の給与レベル(←労働配分)も新興国同様になってしまうというわけです。
1990年頃までは、それでよかったのだと思います。
現在の中国がそうであるように、ブランド価値や、エロさの価値など、そもそも無理な高度成長時代には、それでよかったのだと思います。
けれど、モノや機能に溢れた成熟経済の日本国内においても、世界のマーケットで世界の競合と戦わなければならない世界市場においても、「俺たちの技術はすげーぞ!」なんてやっていたのでは、ジリ貧です。
増してや、そのスゴイはずの技術を、世界市場の中で、「安いぞ!」なんてやってしまったらオシマイです。
シャープが亀山工場を作り、「亀山ブランド」なるものを打ち出したとき、「アホか」と僕は思いました。
これこそ、「技術だけに頼ったマヌケな戦略」に他ならないからです。
今時、テレビなんて、どこにでも転がっているし、液晶の品質なんて、その投資額の差(≒技術の差)ほど顧客の目に価値の差となって現われやしないです。
「俺んちのテレビ、シャープ亀山製だぜ!」 なんて言ったところで、
「すごーい!今度見に行ってもいい!?」 なんて返事が返ってくるわけありません(笑)
そこには、「エロさの価値」はほとんど存在しないですから、提供側のマスターベーションに過ぎず、投資回収には至らない(=投資時点でNPV・・・Net Present Value・・・がマイナス)というわけです。
事実、シャープは亀山をたたんでしまいました。
なぜ、戦略が下手なの?
なぜ、顧客目線の商品が作れないの?
なぜ、技術ばかりに頼ろうとするの?
これに対する僕なりの応えは、先週から書き始めている「顧客目線の欠如」にあるのだと思います。
参考エッセイ:
ITAKURA’s EYE 「日本企業には作れないiPhone」
ITAKURA’s EYE 「顧客目線が足りない」
つまり、人対人の直接サービスであれ、モノを媒介にしたサービスであれ、「良質なサービスに触れる機会の多い人が提供側に少ない」こと、および、「そういった経験やセンスを持っている人がリーダーシップを取れないシステム」が、原因であろうと思います。
実際、客単価が低く、大衆向けの物販やサービスに触れるたびに、「なんだこれ!?」と思うことは多々あります。
先日も、自動車関連商品(小物やメンテナンスなど)を売るチェーン店を利用したときにも・・・
店員の態度の悪さ・・・レジには混雑時に蛇行を誘うレーンがあるが、誰も居なかったのでショートカットしようとした際、セロハンテープで貼り付けてある看板にぶつかり、その看板を僕が落としてしまったのですが、そのときのレジのおねぇーさんの態度といったら、あからさまに「こいつ余計なことしやがって!」ですからね(笑・・・結局その看板はおねぇーさんがものの15秒ぐらいで直せた程、大したことではないわけなのですが。)
それを胸に収め、「すいません」と謝っても、返事すらなし。
その後、(僕のミスでもあるのですが)、クレジットカードを受け取り忘れ・・・つまりレジの人が、僕にクレジットカードを返すのを忘れ・・・引取りに戻ったときだけは、頭を深々と下げて何度も謝っていましたが。
つまり、明らかなミスでもない限り、顧客目線を持つことができないわけです。
また、業務システムの不具合・・・洗車を店内で受付済ませ、指示通りにクルマを移動したら、「まだ伝票が来ていない」とか言われたり。
こんなんだから、機能しか売れないじゃないでしょうか。
こういった本質的サービスには、実は人材教育以外には大したコストを必要としないというのに・・・
「今あるモノを、どう使い、どう見せるか」
それだけで顧客から見たら、ぜんぜん違うサービスになるというのに。
こういった傾向、クレクレ人間の増殖で、益々ひどくなっているように感じます。
一方、良質なサービスに接する機会の多い人は、自らが提供側になったときも、顧客目線を持つことができる・・・肥えた目を持つ顧客に恵まれた企業は強くなる・・・そして益々格差が広がる。
格差の原因は、本質的にその人の能力の問題であるはずなのに、なぜか環境のせいにする傾向が強くなっていると感じます。
この国、このままでは、ダメになる。
僕はそう思います。
解決策・・・それは、政治屋による政治に頼るのではなく、金融政策に頼るのではなく、「人材教育」しかありません。
つまるところ、その国の繁栄とは・・・
「一人当たりの能力」 * 「人口」
です。
GDPの算出根拠を考えても、これ以上の解はありません。
人口減少が明らかである以上、今まで以上に人材教育が欠かせないわけです。
一度、ドンガラガッシャンしないと、それに気がつけない国民になってしまったのだとすれば、ドンガラガッシャンになってしまうのではないでしょうか。
2010年3月30日 板倉雄一郎
PS:
先日、「顧客目線が足りない」にてケースとして取り上げた某ホテルのその後の対応ですが、これが(僕にとっては)素晴らしい変化で、「そこまでしていただかなくても」というレベルになりました。
したがって、ケースとして取り上げた話は、某ホテルの「過去の姿」ですのであしからず(笑)
この4月からも同ホテルのブラック会員を続けるべく、本日契約更新いたしました。
欲を言えば、クレームする前に対応して欲しかったです。
クレームするということ自体、後味の良いものではありませんから。
PS^2:
Ferrari F458 Italia より Lexus LF-A の方が、(乗ったことが無いので確かなことは言えませんが)、「機能としては」、きっと格段に優れているのだろうと思いますが、Ferrariの方が売れるでしょうし、利益も出るでしょう。
(↑ F458は、友人のオーダーがこの7月に納車されるそうなので、楽しみにしています。)
少なくとも、Lexusの方が、壊れないに違いありません(笑・・・それなのに・・・)
PS^3:
最近、というか3月に入ってから、新規事業への投資案件やら、事業評価の依頼だとか、急に増えてきました。
とってもいい傾向だと思います。