板倉雄一郎事務所 Yuichiro ITAKURA OFFICE

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ITAKURA’s EYE 「ゴキブリは入っていません!」

一人でクルマでの移動中に腹が減ると、つい「オレンジの看板」に飛び込んでしまう。
「早い、安い、うまい」に加え、駐車違反切符を切られる心配が無いから、僕にとっての牛丼チェーン店の価値は、そんなときに最大化する。

どこのチェーン店であろうが、まあ大体、同じようなシステムと味と「僕にとっては」大差ない価格だから、どこでもいい。店舗選びのこだわりは、少なくとも僕には無い。

僕が牛丼屋に期待するのは、牛丼としてまずまずの味で食欲を満たすという「機能」であって、彼らに良質の「サービス」を期待することは無いから、なおさら店舗選びなどどうでもいい。

実際、何度足を運んでも、どこのチェーン店であっても、そのサービスに大きな不満を持つこともなければ、提供された牛丼というモノに機能不全を感じることも無い。

たどたどしい日本語を話す外国人労働者とのやり取りも気にならないし、学生アルバイトの無愛想な振舞に多少不愉快な気分になることはあっても、その場で簡単に忘れてしまえる程度である。

しつこいようだが、僕は彼らに良質のサービスを求めているのではなく機能を求めているだけだし、彼らは業務マニュアルに沿って「作業」を行うだけだからだ。

恐らく、大多数の牛丼屋を求めるヒトも僕と同様、彼らに期待するのは「機能」だけなのだと思う。

すると、僕のように数十円単位の違いに無頓着な人間で無い限り、チェーンの違いは「価格」だけになる。

かくして、彼らの数十円単位の価格競争は、どこかのチェーンがくたばるか、はたまた景気が良くなり、大衆が数十円単位の価格差に無頓着になるまで続くことになる。

 

彼らの業態の場合、価格競争に勝ち生き残るためにはコストダウンという方法しかないが、大量仕入れや業務効率化によるコストダウンは、その業態がスタートしたときからの優位性として存在するはずだから、さらなる削減となればその矛先は人件費ということになる。

したがって、外国人労働者や学生アルバイトが増加することになるが、安い労働力に良質なサービスの遂行を求めるはずも無いから、元々機械的な作業は益々機械的になる・・・それどころか、「機械の方がマシなのではないか」と思うレベルまで機械的な作業が加速するのだろうと思う。

作業をする人に支払われていたお金は、機械を作る人に支払われることになる。

機械にできる程度の作業しかできないのならば報酬が低いことも、その作業が機械にとって変わられてしまうことも致し方ないのではないだろうか。少なくとも制度の問題ではない。

 

一方、一皿1万円もする料理と、1本数十万円もするフランス産ワインを振舞う著名なフレンチレストランもこの世に存在する。

当然ながら、そんなお店に対し機能だけを期待する顧客など居ない。

彼らが求めるのは、料理が美味しいだけではなく、その料理が如何に良質な素材を使っているか、どれほどの技術によって調理されているか、どんなワインのストックがあるのか、どのような立地か、どのような雰囲気の内装かといった「モノ」に関する価値がまず挙げられる。

しかしそれだけで、一皿1万円は無い。少なくとも僕は、どれほど「モノ」が優れていたとしても、そんな価格は支払わない。

店に入りギャルソンとの対応、料理を選ぶ際の説明と会話、選んだ料理を最大限に引き立てるワインを選ぶ際のアドバイスと会話、食した料理の印象を語る会話、(マナー違反ではあるが)中座するときの対応、食後のデザートやシガーへの誘導の対応、会計時の対応と会話・・・そういった「コミュニケーション」に満足できて初めて、満足して大枚を支払える。

もちろん、コミュニケーションであるがゆえに、自らの品格や対応もコミュニケーションの質を高める上で必要になる。

その結果、食事そのものにも満足し、その上同伴した女性の気分が良くなっているとすれば言うことなし。少々絶対額がお高くても、得られた価値に比べれば安いものだと「騙されて(笑)」、大枚を支払うことに満足する。

かくして、このようなお店は、サービスという付加価値を提供できたことの見返りとして、その店に対し不動産や食材を提供する取引先が上げる利益以上の利益を得ると同時に、顧客満足という将来の継続的な利益も得ることができる。

 

つまり、サービスとはコミュニケーションである、ということだ。

 

ここで言うサービスとは、ギャルソンの対応のことだけではない。

内装や立地などは、その店という「モノ」を媒介にしたその店の設計者と顧客のコミュニケーションであり、料理は、料理という「モノ」を媒介にした、素材の産地とシェフと顧客のコミュニケーションであり、ワインは、ワインという「モノ」を媒介にした、産地と流通とソムリエと顧客のコミュニケーションであるわけだ。

 

ただし、至れり尽くせりが極上のサービスということではない。

シャトーブリアンのレアを食す際に白ワインをリクエストした顧客に、「かしこまりました」とするのはサービスではなく、単なる御用聞きに過ぎない。

ロールスロイスでワインディングを飛ばしたいという金持ちのリクエストに、今月の報酬ににんまりしながらさっさと手続きをする外車ディーラーの営業マンは、その顧客を失うことになる。

こういった行為は利益に結びつかない。良くて「その瞬間の利益の最大化」に留まり、利益の継続性は得られない。

そこにはコミュニケーションがないからだ。


利害関係者同士のコミュニケーションの質こそ、サービスの質であり、継続的な利益を創造する源なのだと思う。

 

 

料理にゴキブリが入っていないことを保証する程度であれば、だれも牛丼の価格さえ支払わない。

そんなの当たり前のことだ。

しかし、ゴキブリが入っているかもしれない程度の「モノ」を安さを武器に提供していた新興国の商品は年々進化し、今ではさすがにゴキブリは入っていない程度になった。

そして、日本企業は、そんな新興国企業と直接の競合になってしまった。

モノや機能は巷に溢れている。同じ機能なら安いほうが良いに決まっている。

その商品に、良質のサービスやモノに託されたサービスを顧客が感じなければ付加価値料を得ることはできないと思う。

 

日本を代表する企業が商品の機能不全疑惑に巻き込まれている。

そのクルマが機能不全か否か・・・そんなレベルの低い議論がされている。

機能ばかりを追い求めると、顧客が商品に対し何か不満を訴えても・・・

「でも、機能しないわけではないですよね!」

といった粗悪なコミュニケーションに傾向していく。

飲食店に比ゆすれば、料理にゴキブリが入っているか否かといった程度ではないだろうか。

もし、ある飲食店が、「うちの料理にはゴキブリは入っていません!」なんて言ってたらどう思いますか。

 

2010年3月8日 板倉雄一郎

  

PS:

1年ほど前、僕は(試乗もせずに買った)トヨタiQに関するトヨタとのやり取りで、トヨタにこんなことを言われた。

「でも、機能していないわけではないですよね」

それでトヨタを売った。2台のトヨタも株も。

もちろん、テイスティングで気に入らなかったことを理由にワインをキャンセルしても、その料金は支払わなければならないことと同じように、経済的損失は僕自身が蒙った。

確かに「その料理」にはゴキブリは入っていなかったが、シャトーブリアンを白ワインで食した上での不満を訴えたわけでもなかった。





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