マクロ経済が世界的に後退する中で、「雇用問題」が一つの大きな焦点になっています。
雇用に対する不安が、被雇用者の中で広がれば、消費が抑制され、回りまわって企業の業績も悪化するというデススパイラルを懸念するという、経済を客観的に見た場合の雇用問題が問題になる一方で、単に「仕事よこせ!」といった被雇用者の主観的な主張も一部のメディアを通じて報道されています。
2000年代の小泉・竹中路線といわれる政策によって、製造業における派遣労働規制が緩和されたことが、現在の雇用問題の引き金だといった主張がありますが、これまた馬鹿げた主張だと思います。
一度でも企業経営を行ったことがある者なら容易に理解できることだと思いますが・・・
1、企業の業績は、経済の影響を受け常に変動する。
(どれほど、優秀な経営者が居たとしてもそれを免れることはできない)
2、1から、真っ当な企業であるほど、内部留保を一定額以上確保しようとする。
(それがどの程度であるべきかについては、資本市場の流動性や、ビジネスモデルなどによって変動し、説明が極めてややこしいのでここでは割愛します。また同時に内部留保が多すぎることも、投下資本利益率を下げてしまうので、内部留保が多ければ多いほど良いというわけではありません。)
3、人件費は、資本コストと並んで企業のコストの大きな部分を占める
という事実を前提にすれば、派遣労働などによる「人件費の流動費化」は、企業の存続のために「ある程度」必要であり、合理的であることがわかると思います。
もし、「非正規雇用はすべてダメ!」ということだったとすれば、経済が成長し、少々需要が増加しても、それがある程度恒久的であるという見通しが無ければ、その需要を100%満たす供給を行うことを避け、生産を抑制することになるわけですから、企業は、一時的かもしれないが、雇用を増やし生産を増やし、売り上げ利益を伸ばすことができるチャンスがあるにもかかわらず、新規雇用をためらう傾向があります。
もっと簡単に表現すれば、猫の手も借りたい状況であっても、それが続かない可能性が高ければ、需要をお断りしてでも、被雇用者を増やそうとは思わないということです。
しかし一方で、「非正規雇用もある程度OKですよ」ということであれば、一時的かもしれない需要を満たすべく、非正規雇用を増やす可能性があるわけです。
非正規雇用の方々が解雇される中で、非正規雇用「それ自体」が問題とされる議論がありますが、非正規雇用という枠組みが無かったとしたら、非正規雇用自体が行われず、少なくともこれまでの非正規雇用における労働さえなかったかもしれないわけです。
「仕事が全く無い」ということより、一時的な仕事かもしれないが無いよりはマシ」と考えるのは、マクロ経済的にも、一企業経営の上でも、被雇用者の環境の上でも、合理的だと少なくとも僕は思います。
以上の考えは、「経営者寄りの考えだ!」といった反論もあろうかと思いますが、そもそも企業がなくなってしまえば、「仕事よこせ!」と訴える相手さえ居なくなってしまうわけですから、「どちから寄り」ということではないわけです。
マクロ経済的に、労働配分が成されなければ、経済は成り立ちません。
しかし、キャッシュフローが減少する中で、労働配分を維持すれば、当該企業の財務的信用が下落し、資金調達ができなくなるか、または、資本コストが上昇してしまいます。
そうなれば、その企業は、売り上げが減少する中で、対売り上げ人件費も、資本コストもどちらも上昇してしまうわけですから、たちまち競争力を失い、やはり企業そのものがなくなってしまう可能性が高くなるわけです。
いくら、「仕事よこせぇ~!」と言ったところで、仕事をする先=企業がなくなってしまったのでは、どうにもならないわけです。
その上、日本企業の大部分は、国際的競争にさらされています。
日本のビジネスモデルが、海外への輸出をベースにしているわけですから当たり前です。
企業とは、その利害関係者(顧客、従業員、取引先、債権者、株主)の集合体です。
これら利害関係者がそれぞれの価値を持ち寄り、その価値を高め、再び利害関係者に配分する仕組みです。
それぞれの利害関係者が、それぞれの立場だけの主張をしているのでは、うまく機能するはずもありません。
このご時勢の中で、非正規雇用の方々の生活も大変だと思います。
しかし、彼らだけが貧乏くじを引いているわけではありません。
株主だって、めちゃくちゃ損をしています。
債権者だって、債権が回収できないで損をしています。
それら利害関係者全体についての理解が、それぞれの利害関係者に求められるのではないでしょうか。
じゃあどうすればいいの!?
一言で言えば、「自分の価値を高めるための(時間やわずかなお金を)投資をすべき」。
それに尽きると思います。
本当に企業の価値を高める能力を持った人を、企業は首にしません。
誰にでもできる仕事であれば、需要減少において簡単に首にするでしょう。
一見冷たい社会のように見えるかもしれませんが、誰にでもできる仕事に甘んじている人、蓄えることができたときに蓄えなかった人、の自己責任です。
自らが、自らの能力を高める努力をし続けることが、自らの生活の安定において最も重要なことではないでしょうか。
2009年1月9日 板倉雄一郎
PS:
いざというときのための蓄えを怠った人や、
普段から自らの能力を磨くことをしなかった人が、
節約しながら蓄え、稼げていても自らを磨く努力をし続けてきた人に対して、
「金よこせ!」と訴えることが当たり前になるような国は、間違いなく滅亡するでしょう。
そんな国にだけはしてはだめです。